書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

トイレに入ると電話が鳴る病

どうしてでしょうか。トイレに入ると電話が鳴ります。小でも大でも。

男性の小ならすぐ終わると思うでしょ?相手を待たせずに電話に出られるほど、素早くはできないんですよ。

日記にも何度か書いてますが、今は電話の着信は全てスマホで受けています。Microsoft Teamsに直接着信するのです。私はスマホはいつでもどこでもスボンのポケットに入れているので、大の最中でも着信に応じることは可能です。

でもしませんよ。

相手からは見えないとはいえ、恥ずかしい。

そうだね。私はテレビ電話推進派です。電話というのは相手の時間を強制的に奪う凶器です。メールなどの非同期通信手段であれば、時間が取れた時、もしくは気の向いた時に読むという運用をしてもらえば先方の負担は軽減できます。でも電話は、着信を受けるか無視するかの2択になってしまいます。

社会性のある人の中の多くは、かかってきた電話には出るでしょう。

であるならば、かける方にも相応の負担を求めたい。身なりを整えて、姿勢を整えて、カメラ映りを確認して、そこまでしてからかけてくるのであれば、こちらもそれ相応の礼儀を持って受けねばならぬ、というのが私の考え。

直接訪問する時のことを考えたら、それが当たり前です。

電話の凶暴性は、直接訪問している時にも感じられるかもしれません。こちらが顔を合わせて話しているのに、電話がなったらそれを差し置いて電話に出る、ということもあり得ます。来客中の電話は出ない、取り次がない、というのは暗黙のルールだと思うのですが、とはいえ、掛け直す面倒さを考えると出てしまいたい気持ちにもなります。

それぐらいの負担を相手に求めてしまうのが電話ですから、音声通話であっても、かける際には心して発信をしませんとね。

なんの話でしたっけ。

そう、トイレ中の電話ですね。テレビ電話だったら出ないですよね。テレビ電話じゃなくても出ないですけど、だから困るんです。今どき電話番号は表示されるのでこちらから掛け直すことはできますが、人見知りで社交性にマイナスのバフがかかってる私にとって、電話をかけるという行為は高い山を登るのに等しいのです。

下手したら何日もかかるんですよ、発信ボタンを押すまでに。

正太寺の電話はそんなに頻繁に鳴りません。数日間に渡って鳴らないので、故障してないか不安になって携帯からかけて着信テストをするぐらいに電話が鳴りません。

それなのに、なぜ私がトイレに入ると鳴るんですか。おかしいでしょ。

正太寺に電話をかけて、もし誰も出なかったとしたら、5割ほどの確率で私がトイレ中です。少ししてからもう一度かけて、すぐに出たら10割に確率上昇です。

その時にはどうぞ、察してください。よろしくお願いいたします。

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