書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

暖房器具の出ている入出に困惑

暮れのおとき(年末の先祖供養)に回りながら、あるお宅ではエアコン、あるお宅ではファンヒーター、あるお宅ではストーブと、暖房器具のお世話になっています。特に今日はお日様のでない冷たい一日でした。暖房がとても嬉しい。

それでも、必須かというと、そこまでではありません。お経を読んでいればそれなりに温まります。後ろに控えておいでのご家族は寒かろうと思いますが、お経を読んでいるわたしは実は、そんなに寒くなかったりします。お経を読み終わると寒いですけど。

手が冷え切って冷たいので、それをどこに置くかが悩ましくはあります。足に触れると冷たい。でも基本の姿勢に忠実に従えば、足に触れざるを得ません。冷たい。

そんな具合の冷たい日に、お経を読みながらふと思い出した光景があります。

ほんの数年前の入出では、この時期、暖房器具を出しているお宅は珍しかったはず。大抵のお宅では、特にお膝元であるお寺の近い集落では、大半のお宅で暖房器具は出ていなかったはずです。

「まだ出してないだよー」

と、みんな言ってた。正太寺では例年、11月のうちにストーブが登場します。最近はエアコンが主体となったのでリモコンのボタンを押すだけで温かい空気が出てきますが、本堂や位牌堂は昔ながらのストーブです。11月のうちに倉庫から引っ張り出してきて、灯油を入れて、スタンバっています。

暖冬と言われている今年でも、すでに何度も活躍しています。

そういう状況は今までも毎年変わらずにありました。でも、入出の民は暖房器具、出さなかったじゃないか。

それなのに、気がつけば大半のお宅で暖房が動き出しています。どうしたんだ。一体どうしたんだ。

私の記憶にある暖房器具の出ていない時代から、住民の世代がひと世代進んだのだろうか。・・・いや、そんなに変わっていないはず。では一体どうして・・・

エアコンの暖房を使っているお宅の場合は、夏の酷暑のせいでエアコン導入率が急激に高まったせいではないかと推測できます。限られた部屋にしかなかったエアコンが、複数の部屋に取り付けられるようになり、仏間にも温かい空気が届くようになったのでは・・・?

でもそれだと、ストーブの出ているお宅の説明ができません。以前から暮れどきのタイミングでストーブが出ていた?はっきり覚えてはいないけれど、出ていたお宅もあるけど、出ていなかったお宅もあるような。

などとこれは結論の出ない話ではあります。それよりも人間ってすごいなと思うのは、ここに書いたこと、長くても2秒はかからずに頭の中で処理されてるんですよ。

言語として頭に浮かんだらとても時間がかかりますが、思い返すにイメージ画像で処理されているような。じゃないとお経がどこかへ行ってしまいます。言葉にしてもダメ、時間をかけてもダメ。

もっと言うと、一瞬のイメージで表現されたことを、さらに繰り返し違うイメージを描いて記憶に留めようとしているような。そんな気もします。

何かに集中している時に別のことが頭に浮かぶ瞬間って、こんな感じだと思います。人間の頭の中、すごくないですか?

お経の最中に何かが浮かぶと言うのはよくあることなのですが、その時のロジックが説明できたのは今回が初めてです。次回以降、本当にこうなっているのか、検証してみたいものです。でも検証のせいでお経が迷子になったら困るなぁ。難易度高めですね。

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