書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

暮れどきに回っています 二日目

夕暮れ時ではありません。いつも紛らわしくて自分でも不思議に思います。年の暮れ。おときの語源はお斉、食事のこと。さらにさかのぼると僧侶の食事時間のことを表す言葉にもなります。

それがどんな経緯をたどって正太寺で使っているようなお檀家さんのお宅で上げるお経の意味に代わっていったのかは、よく分かりません。昔は途中で食事を頂いたから、という説もありますが、不確かです。

お寺の間でも、おときをお経の意味に捉えない地域も多く、もしかしたらお経の意味で使うほうが少数派かも。第四宗務所管内でも通じないことがよくありますから、きっと少数派なのでしょうね。

でも、入出の中では通じる言葉です。お盆の時は、単に「おとき」。暮れに回るときは「暮れどき」。年が明けて来月は「初どき」。でも初どきはお寺に集まってもらいますから、家でのお経を意味するほかのおときとは意味合いがちょっと違いますね。

それでも何となく通用する、そんな言葉です。

お盆のおときと暮れどきの一番大きな違いは、体力の消耗度にあります。午前の部を終えて、そして午後の部を終えて、それぞれ休憩なしで事務仕事程度なら出来てしまいます。お昼には少し昼寝をしたくなりますが、無しでも死にそうな感じはしません。お盆との大きな違いです。

今日も空いた時間に書類を書きながら、おときに精を出しました。相変わらず話している時間のほうが長い住職の訪問ですが、みなさんどうぞよろしくお願いします。