書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

再びの机ぐちゃぐちゃ

寺務所の机からものが溢れて床にまで到達。それから3ヶ月ほどでしょうか。机の上を空けるために床に下ろしたものが片付く前に、また机の上が埋まったままの日々を過ごしています。

そろそろ、下の方に大事な書類が隠れていないか心配になる。

ということで、たった今、急ぎ確認をしてみました。銀行からの取引目的云々のハガキが一枚、未処理で残っていましたが、他は処理済みだけど捨てられないものたちでした。よかった。

紙の書類は最強スキャナーScanSnapでPDF化し、Evernoteというあらゆる情報を一元管理するためのアプリに登録した後、基本的には廃棄処分としています。でも、紙のまましばらく取っておきたいものとかもあり、意外にそれらの量も無視できないほどあり、さあどうしましょうとなっています。

野口 悠紀雄さんの著書『「超」整理法』を読んで以来、自分なりに整理の仕方にはこだわってきましたが、理想の姿には程遠く、あっという間に部屋が散らかるということを、おそらくもう20年以上繰り返しています。

超整理法では、確か、郵便物として届いて破棄するばかりの角二封筒に、用済みの書類を入れて、それをさらに段ボール箱に入れていきます。この時、封筒にその日の日付を書き入れ、時系列順になるように気をつけます。後から参照するので、横積みではなく、縦に収納ですね。

一定期間、たとえば1年間、その書類を参照することすらなかったら、不要と判断して廃棄する。簡単にまとめるとこんな感じだったと思います。ずいぶん昔に読んだので記憶も曖昧ですので、書籍にあたってもらいたいと思いますが、その曖昧となってしまった記憶を頼りに今もなんとか整理をしようと頑張っています。

つまり、床の上に積まれた行きどころのない書類も、床に下ろした大体の時期をヒントに、ある程度の時が経ったら不要と判断して捨てよう、と言うことなのです。

しかし、1年も待っていたら床が書類で埋もれてしまいます。ですので、もっと短いスパンで判断しなくてはならないのですが・・・

ここで優柔不断さが爆発するため、踏ん切りがつかないのです。部屋が片付かない人の何割かは、こう言う特徴を持っていると思いますよ。ですので、散らかっていると言われると大変困るのです。

散らかっているのは重々承知をしていて、仕事をする時間と整理をする時間を天秤にかけ、最低限の手間で最大限の片付けができるように、その過程で散らかっているのです。これを今片付けてしまったら、捨てる時期が分からなくなってしまいます。

丁寧に収納してしまったら、廃棄へと進むタイミングを失い、収納場所を未来永劫占拠し続けることになってしまいます。

散らかっているのなんて、見れば分かるのです。ですから黙ってあげていてください。私に関して言えば、妻をはじめ家族みんな、寺務所の中のことについては滅多に話題にだしません。ありがたいです。

時々スッキリと片付く日がありますから、その日をお楽しみに。とはいえ、散らかっているのを見るのは、散らかしている本人にとってもあまり気持ちのいいものではないのですけどね。

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