書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

いろいろあるけども、会食にもいいことはいっぱいあるので。

本当に久しぶりに、法事の後の食事の席に呼んでもらえました。コロナ禍以降、お店に用意された席に伺ったのは、初めてではないだろうか。

食事を共にするというのは、新型コロナ感染の舞台としてはメジャーな場です。私もいまだに、同じ鍋をつついたりするのには抵抗があります。取り箸をちゃんと使えば少しは安心できますけども。

鍋と比べれば、会席料理というのは全ての品が一人一人に用意されるので、安心感は高まります。でも、近い席の人がもしも新型コロナに感染していたりすると、うつってしまう可能性は高くなってしまいますね。

会席料理の主な目的は会話です。食べながら会話をするんです。その都度マスクを着け外しする手間にはさほど抵抗はありませんが、そろそろそこまで厳重に備える人も見かけなくなった中、一人で実践するのは心理的ハードルが高いですね。

法事の席には比較的高齢の方が集まりますから、具合が少しでも悪ければ欠席するというのは、まだまだ徹底されているように思います。その雰囲気があるうちは、おそらく大丈夫だろうと考えていますけれど。

お檀家さんとその親戚衆と、話をしながら食べる時間というのは、とても良いものです。お酒で失敗する和尚の話も聞きますが、最近はこうした席でお酒を飲む方も少なくなりました。今日もほとんどの方がウーロン茶にオレンジジュース。私だけ特殊でグレープフルーツジュース。そんな具合。

お酒が入らないと、会話の音量も適正に保たれます。飛沫の飛び方も違うことでしょう。そう信じています。

ただ、私自身はこうした場への出欠を選択できる立場です。でも、参列する親戚衆の中には、特殊な力学が働いて、強制的に出席という立場の方もいるかもしれません。その方が、感染症が流行っているから会食は遠慮したいなと思った時に、それを選択できる自由というのは何としても確保されるべきことだと思います。そもそも特殊な力学なんて、パワハラと変わらないですからね。いいかげんにそういうものとは訣別しませんと。

コロナ禍を理由に家族だけで法事を勤め、とても気楽だったという話もないわけではありません。その気持ちも分かります。でも、法事というのは仏様がくださるご縁でもあります。そのご縁を理由にして、久しぶりに親戚のみんなに会いたいなぁと思えるような、面倒だという気持ちよりも、会いたい気持ちが上回る、そういう関係性がどこに行っても見られる世の中であってほしいなと願っています。

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