書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

甘えちゃいけない

法事にて。開式前におしゃべりをしていました。もちろんマスクはしています。不織布マスクをつけたまま読経もします。まだ今ぐらいの気候だとなんとかなりますが、もう少し暑くなるとマスクしたままでのは読経は難しくなります。

透明マスクがデレビであんな使われ方をしているせいで、使いにくくなってしまいました。屋内で人と対面して使ったら、だめだと思うのだけれど。

目に見えないウィルスが相手であり、その場の環境やその場にいる人の体力次第でOKだったりNGだったりして、その結果は感染したかしなかったかでしか測れないのが難しすぎます。

ほとんど感染の広がっていない湖西市では、お仏壇に向かう間だけ透明マスクに付け替えるという、昨年同様の運用で理解を得たい所です。

という具合に、誰かと会えば自然とコロナの話にもなりますが、ほかにもいろいろもとお話をします。ほっといたら20分でも30分でも話が続くお宅もありまして、開式時間になってもそのまま話を続けたくなる時があります。

そんな感想を漏らすと、「お経無しでこのまま話してるだけでも良いけどね〜。(生前)話すのが好きだったから」なんて言ってくださる檀家さんもいて、ついついその話に乗っかってしまいそうになります。

人前でお経を読むというのは緊張します。声を出すことは平気なのですが、間違えたくないという気持ちからです。

特に今はコロナ禍の対応で、参列の皆さんと一緒に読むことが出来ず、一人で読むので、間違えることに対しての恐怖が多大です。お経本、見てるんですけどね。

その恐怖に襲われることなく、おしゃべりしているだけで良いなんて。

気の小さい私にとっては渡に船。

だからといってその話に乗っかるわけにはいきません。生前のお姿を想いながら話に花を咲かせるのも大切ですが、儀式は儀式でしっかり勤めることもまた大切です。

両方大切。

緊張と恐怖を押しのけて、儀式に臨む姿もまた、ご供養です。

最近の法事で御供養する仏様は、ほとんど私が生前を知る方となってきました。こんな気持ちもやりとりしながら、お経を読んでいます。

気持ちのやりとりに没頭しすぎると、お経が行方不明になって焦るんですよ。困ったものです。

檀家さんとも話をしながら、仏様とも話をしながら。そうした得難い機会を得られたことに感謝をして、これからもしっかりお勤めしてまいります。

ああ、でも、毎回緊張でお腹が緩むのはなんとかしたい。

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