書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お寺のお年忌

檀家さんの法事を勤めた後、ほぼ休憩無しで祖母の法事を勤めました。導師は師匠。私は木魚とか。

私の兄弟とその家族だけの参列にとどめましたが、それでも16人だと位牌堂でお勤めするには過密。というわけで、本堂を使いました。最近はお寺で法事をされる方も少しずつ増えてきていて、人数によっては本堂を使っています。コロナ禍の昨今、広いと安心。

施主的役割は師匠と私で分割したような心持ちなので、1人で全部背負い込むよりは楽なはずとは言え、それも兄弟しか呼ばない本来気が楽な状況とは言え、やはりくたびれますね。

9時から法事を2連発という事実もありますから、終わった後はぐったりでした。

改めて認識したのですが、お寺に住まう人間の、自分たちに対する扱いの悪さがあります。

お仏壇の大きさは意外にもスモールサイズ。入出の全お檀家さんと比べても、圧倒的な小ささ。当然中のお位牌も小さい。

そのお位牌も、夫婦であっても和尚と一緒のお位牌にはならず、寂しくともそれぞれ別のお位牌になっています。さらになんと、お檀家さんであれば当然置いてある位牌堂のお位牌がありません。

待遇悪い。でも、私の祖父にあたる先々代の葬儀の際には、どこにもお金がなかったと言いますから、それから数年経っての祖母の葬儀の際にも、お金は無かったのでしょう。作りたくとも作れない、そんな事情があったのかも。

正太寺の住職で妻帯が始まったのは、さらに一代前から。そんなに昔のことではありません。前例がないため、どのように対処すれば良いかも手探りの状態だったのでしょうね。それを引き継ぎつつ、今があるわけですから。

師匠が時折話してくれるのは、お寺の人間の弔いなんて、まともにやってあげられない、と。檀家さんは一所懸命になってくれますが、それも葬儀まで。その後の一周忌や初盆から先は、お檀家さんと同じように、住職家が動かなければ何も始まりません。

でも、お盆は檀家さんのお盆で必死です。年回法要も、土日は檀家さんの法事があるから、平日の空いた時間に家族だけで、とかになりがち。私が施主になったら、なるべく親戚を寄せて勤めたいと考えてはいますが、状況が許してくれなければやりようがありません。

何とも切ないですが、これがお寺に住まう者の宿命かな、なんて大げさに考えてしまいます。

もちろん、ハードルを乗り越えて、お檀家さんと同レベルで法事をお勤めできているお寺さんもいると、そちらの方が多数派だと、願っていますが、はたして現実はどうでしょうか。

そんなこともあるので、お檀家さんが法事をお勤めしてくれると、それだけで私は嬉しいのです。年回法要を欠かさずにお勤めできることの喜びを、実は誰より感じているのが菩提寺の和尚だったりするのです。

ですので、一年過ぎちゃったとかあっても、遠慮せずにお寺に相談してください。昔は分かりませんが、今の和尚で、そのことを咎める人はいないと思います。

たぶん。

湖西市にはいないと思う。

たぶん。

私の知っている和尚には1人もいません。これは確実。湖西浜松地区でお悩みの方、曹洞宗のお寺であれば御住職とたいてい面識がありますので、心配ならば私にご相談ください。うまいこととりもってみせます。

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