書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

専門家会議の会見を聞いていた

ちょうど質疑応答のところから中継を見ました。入浴中は脱衣所に置いたスマホから音声だけ聞く感じで。ずいぶん長い質疑応答で、その間も多分記者さん達の誰かだと思うのですが、時々軽い咳の音が聞こえて、すごく心配になりました。

どんな換気がされているか分かりませんが、全体の人数からしたら余裕があるとは言えない部屋の中で、長時間。咳をする人あり。咳き込むわけじゃなくて、ケホッと一回出る程度ですが、それが何回かありました。

会見のために並んでいる専門家は、今日本という国の新型コロナウィルス感染症に対する対策を練っているまさに中心人物達です。いろいろ批判の声もありますが、他の国とは比較にもならないほどの低い致死率で今まで乗り切ってきたのは、この方達の先導があり、それに加えて現場の医療関係者の身を削るほどの尽力の賜物です。

普通に考えて、あの場にいた専門家が感染症に侵されれば、現場への負担も増すことになります。質疑応答でも、現場の疲弊は繰り返し話されていました。何としても全国の医療関係者を守らなきゃなりません。そのためにも、あの場の専門家はもっと守られるべきです。

今日もお役僧で葬儀に行ってきたのですが、咳をする人は誰もいませんでした。おそらく、ちょっとでも体調に不安のある人は、葬儀に参列しない選択をしているのでしょう。感染症が言われ出してからの葬儀は、本当に誰1人咳をしません。維那の私が喉へのダメージでちょっと咳払いをしたのがすごく目立つほどに。

そうやってみんなでこの難局を乗り切ろうと意識を高めているのに、あの場に咳をする人が、それが軽い咳であっても、参加していたことが驚きでした。一緒に聞いていた娘もやはり気になっていたようで、ネットで話題になりそうと言ってました。

私もこうして取り上げていますしね。

誰かさっさと摘み出してくれ。それが正直な気持ちでした。

でも、それは私にもすぐに跳ね返ってくるのです。咳が出る状態でお役僧に行けば、同じように思われることでしょう。法事でもそうです。単なる風邪であったとしても、周囲に与える不安は半端なものではありません。だからと言って、お役僧をドタキャンできるだろうか。法事をドタキャンできるだろうか。

私の場合は、師匠の都合がつけば代わりをしてもらえます。でも、師匠も咳をしていたら?同居しているんですから、同じ風邪をひく可能性は高いです。師匠がいてくれてもいてくれなくても、さほどの差はなく、全国の和尚も先ほどの記者さんと同じように、難しい立場に立たされます。

法事だったら、仏間の縁側の外側で、締め切った戸の向こうでお経を読めば何とか仏事として成立するだろうか、とか。法事が成立するかどうかは、お施主と親戚がどう受け止めたかが重要です。供養ができたと納得してもらえる形でなくてはなりません。実際に供養ができたことと、その場にいた人が受け止めたことには、大きな差があり得ます。生きている人にとっての教えである仏教です。ご先祖様をどれだけ供養できても、それが檀家さんに伝わらなければ意味がないのです。

咳をしていた記者さんだって、社命を受けて来ているわけです。本人は席を外したかったかもしれない。社命という見えない力に押さえつけられているだけかもしれない。もっと簡単なことで、会見場の空気が乾燥して喉がイガイガしただけかもしれない。

いずれにせよ、咳が出るということは、万全の体調ではないということです。今、特に東京は、どこでどう感染してもおかしくありません。早く体を休めてください。会見の中継が終わってしばらくたった今、咳をしていた記者さんにかけたい言葉です。