書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

初めてiPad miniを人前でメモとして使った

檀家さんの前でiPad miniを取り出す時、それはお経本でした。使い慣れたお経本がボロボロになってしまったので、それをスキャンしてiPad miniにインストールしたHD文庫を使って表示しています。これがすこぶる便利。法事用、お盆用、暮れ用といった具合に、ページを送るだけで必要なお経が出てくるようにもできます。手元に元になったお経本がある以上、著作権的にも問題はないはず。(お経の著作権ではなく、お経本としての著作権。編集して印刷して販売している会社があるわけですから。)

法事の際にはまだリアルなお経本を使いますが、いずれiPad miniに移行しようと思っています。これ以上傷んでいくのを見守るのは辛い。

そんなiPad miniですが、今日の護持会総会の終わった直後に、集まったお檀家さんに挨拶をするときに、メモとして使いました。「取る」メモではなく、「見る」メモです。昨日、同じ場面でお話ししながら、話したいこと(伝えたいこと)が全部話せたか心配でした。結果的にはちょっと不足しているような状況でしたので、メモを参照しながら話すことにしたのです。

短い文言の箇条書きですから小さなメモ帳で必要十分だったのですが、たまたまメモを取ったのがiPad miniでしたので、そのまま連れ出すことにしました。

あまり不審な挙動にならず、自然に振る舞えたと思いますが、お檀家さんの目にはどう映ったでしょうか。先述したように、私がiPad miniをお経本を使う姿は既に何度も目撃されています。ですから、私が手にしていること自体には違和感はなかったはず。メモを参照するといっても、話す内容が具体的に書いてあるわけではなく、例えば「晋山」と非常に簡潔に一言書いてあって、それについて話を進めるという具合ですので、iPad miniにチラッと目をやるぐらいのこと。紙のメモを見るのとさほど変わらなかったはずです。

多分。

初めてのことをする時には幾分か緊張するものです。今日もちょっとドキドキして、やっぱりiPad miniを使うのはやめようか、とも思いました。しかし、乗り越えられる壁は、どんどん乗り越えていくべきです。iPad miniというとてもデジタルなデバイスであっても、メモとして使うのであれば単なる1枚の紙だし、お経本として使うときには紛れもなくお経本である。そういう信念に基づいてデジタルなデバイスを使い続けてきましたから、お檀家さんの前だからといって、信念をふらつかせるわけにはいきません。

そういう意味でも、私にとって重要な一歩を踏み出せたと思います。

「そろそろメモがないと、話したいことをちゃんと忘れずに話せないようになった」というカミングアウト付きではありましたが。

iPad miniを自然と使う姿が印象づけば、今まではなんとなくIT方面が得意そうという私の印象が、本当にちゃんと得意なんだな、という印象に変わることも期待できます。使い方相談とかも来るようになるかもしれません。お檀家さんとの接点の、開拓です。

この程度のメモであればiPhoneで十分であるところを、わざわざスマホと比べれば大きなiPad miniを使ったんです。何かしら反応があると嬉しいですね。

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