書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

旅行の翌日並みに疲れが出た日に坐禅配信を妄想する

よくよく考えなくても働きづめで、お寺さんへ伺っての晋山結制挨拶回りもなかなかに気疲れがあったようで、午後からびっくりするぐらいぼーっとしてました。

見知った方ばかりにご挨拶をしているだけだし、コロナ禍であるために大半が玄関先でのご挨拶になったというのに。なんでこんなに疲れているのか自分でも理解できません。

昨日で回り終えてホッとして気が抜けたのかな。

ここがようやくスタートラインであって、気を抜いている場合ではないのですが。

一週間、湖西市の新型コロナ感染者数の発表が気になり続けました。なかなか減らないといった印象です。こんな時期に回ったのがはたしてよかったのかいまだに気になっていますが、今となっては私がばらまいていないことを願うしかありません。

いくら気を付けていてもどこでうつっていてもおかしくない状況になってしまいましたからねぇ。

子どもたちの通う学校からは、市の発信しているコロナ感染者に向けられる偏見や差別を防ぎましょうというメッセージがたびたび届けられます。後遺症まで存在する恐れるべき感染症ではありますが、流行初期のように正体不明の感染症ではなくなりました。今では感染者を差別する理由などないことはみんなが理解していることと信じたいです、

私がかかっても、みんな優しくしてね…

今日みたいに疲れが出ているときはリスクが増しますね。気を付けないと。

夜になって、オンラインセミナー。ようやく頭がしゃっきりしてきたので、セミナーを聞きながら日記を書きつつ、セミナーの内容をどう正太寺に活かそうか考えています。

お寺からの情報発信が題材なのですが、私が期待していたのは既存の檀家さんに向けての発信方法だったのですが、どうやらインターネットを介して世界中に向けての発信でした。

まぁそうですよね。

毎日15分の動画配信。やってみたいな。旅先でも毎日配信を欠かさなかったお寺さんのケースは面白かった。それでいいんだ、と。

お手軽なのは真夜中の夜坐かな。とにかくしゃべらない。挨拶して坐るだけ。YouTuberみたいに「今夜も坐っていこうと思いまーす」って始めるの。妄想は膨らむ。

服装も洋服で。せめて作務衣だと坐りやすいけれども、見た人がすぐに一緒にできるように。

こういう発想はポンポン出てくるし、割と外していないと思ってるんですが、なかなか実践できないんですよね。

そもそも第一回はどうやって始めたらよいのか。拡散力もないから、今夜から坐禅の配信を始めますと言っても誰も見てくれない可能性が高い。毎日続けたからと言って視聴者が増える理由も見当たらないし。

まだこれから質疑応答があるので講師さんに聞いてみればいいのですが、それだけの行動力があればすでに配信を始めてますって。ね。

そんなわけで、妄想を広げつつ、どうしたものかと悩みつつ、今夜も無事に暮れていくわけです。

無事に暮れていく。それがどれほどありがたい事か。せめてしっかりとかみしめましょう。

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