書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

今年も寂しいお施餓鬼

正太寺のお施餓鬼も人数制限を加えた寂しいものでしたが、近隣寺院のお施餓鬼もやはり同じような状況で、寂しい。昨年同様なので2度目の経験ではありますが、コロナ禍以前を知っているためにどうしてもそれと比べてしまいます。

来年は、今まで通りのお施餓鬼ができるかなぁ。

そんなことをずっと考えています。

お施餓鬼だけでなく、お寺のお祭りも、神社のお祭りも。盆踊りも。お正月も。今までみんなで大事にしてきたものが、このまま失われてしまったらどうしよう。

多分そうなったらそうなったで新しい形を作り出すものだと思います。心配しなくても、人間はとっても強い。東北の大震災を機に作られたMr.Childrenの「かぞえうた」にも歌われています。実際に東北の皆さんは力強く生きてらっしゃる。東海地震が叫ばれる東海地方の住人として、その力強さ、どうか自分にも備わっていますようにと願うほどです。

そういう実例があるし、コロナ禍以降も柔軟に対応してみんなで社会を形作っています。業種によっては相当苦しく、廃業された方も多いでしょう。再び立ち上がる力があるはずなのだから、それを支援する仕組みをもっと行政には期待したいです。あるとは思うんです。でも、アクセスが悪いように見えます。

お寺も儀式の形を変えていくときなのかもしれません。いつまでも今までの賑やかな法要の姿を追い求めてはいけないのかもしれません。感染症の流行が収まり元の姿に戻ったとして、再び感染症が流行したら同じようにその場凌ぎの対策で数年間お茶を濁すのでしょうか。

100年単位で紡いできた儀式を簡単に変えてしまうことが正しいのか、という難しい問題もあります。今までの期間から比べれば、数年間耐え忍ぶことなど、ほんの短な期間のことともいえます。そうして落ち着いてやり過ごす姿が、もしかしたら周りの人へ安心を届けるかもしれません。

変わるべきか。変わらざるべきか。

45年しか人の身の経験がない私には、荷が重い選択です。困ったなぁ。

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