書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

近隣がお盆の雰囲気を出す中、正太寺がお盆でないために逆に感じる非日常感

6月のお盆へ移行してもう3年が経ちます。檀家さんへの案内としては、当初からお寺の行事としての6月のお盆だから、檀家さんそれぞれが8月にまたお盆行事を行うのはなんにも問題ないですよ、というものでした。

それでも迎え火送り火は皆さん6月に行っていて、8月はお飾りもしないよ、というお宅が多いと感じています。具体的に調査をしてはいませんが、時々お話しする限りでは、そういう印象。

それでも入出の外に住んでいる子供たちとかは、やはり8月がお盆という意識があるようで、お盆で会社も連休になりますし、6月のお盆に合わせて帰省するのもなかなか難しいし、というのもあるでしょう。ですから、昨日あたりからお墓参りの方がとても増えているのは理解できるところです。

とはいえ、静岡県でも新型コロナに関してまん延防止等重点措置が出ている最中なので、お墓参りをしたらそのまままっすぐ自宅に戻っていただけたらなぁ、とは思いますけれど。どちらから帰省されるかにもよりますけどね。

同じ湖西市内での実家帰りだったら普段と全然変わらないわけで、ほとんど感染リスクはないと思いますけれど。湖西市の場合は、ですよ。

さて、そんなお盆の期間ですが、先にも書いたように正太寺はお盆ではないのです。ですので私は明日明後日は近隣寺院に随喜に出ますが、特に今日は仕事無しにしようと思えば無しにできる、という日。

お盆といえば朝から夜まで仕事に追われているのが常だったので、それをせずにいるだけで、ものすごい非日常感を感じます。何もしないことが非日常。禅問答みたいになってます。

日本のお盆というのはとても不思議な儀式です。

ご先祖さまはいつでも手を合わせればそこにいてくださるし、お仏壇やお墓に行って、そこにいるかのようにいつもお参りしているのに、お盆になるとどこかからか帰ってくるというのです。お盆のために設えた精霊棚に。

仏教が一手に引き受けている感がありますが、神道でもお盆はあるそうですね。師匠の実家が神道だけど、どんな風にしているのかな。聞いたことがなかったな。

仏教の信仰と日本古来の信仰と、さまざまなものが入り乱れて今の形になっているので、理路整然と解説するのがとても難しい。それが日本のお盆です。キリスト教イスラム教といった一人の神様が強い一神教では、こうしたことはあまり起こらないんじゃないかな。カトリックプロテスタントで違いがあるのかもしれませんが、日本の仏教のようにそれらが入り乱れるということは起こりづらいんじゃないかと考えています。

キリスト教圏、イスラム教圏を外れれば、似たような事例はきっと存在していると思います。でも、日本でそれが味わえるのですから、これは大変お得なことです。

今自分の行っているお盆の儀式の一つが、一体どんなルーツを持っている儀式なのか、一つ一つ考えてみるのも面白いですよ。インターネットで調べるとそれはそれはいろんな意見が出てきますので、迂闊に鵜呑みにしないように注意は必要です。でもそれらも含めて、とても面白いですよ。

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