書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

暮れのお斉がはじまりまして

お斉と書いて「おとき」と読む。

法事の後の食事のことというのが一般的な解釈ですが、ここ入出ではそれが転じて転じて、お盆などにお檀家さん宅へお経に回ることを指すようになっています。

お盆のおとき。

暮れのおとき。

しまいどきともいいます。年の納め。年をしまう。しまいどき。

そんな暮れのおときが本格的にスタートしました。土日を除いて16日まで毎日続きます。自分でスケジュールを組んでおいてなんですが、休日がないのですよね。終わるとすぐにお稲荷様のおまつり。お稲荷様の後にまで回るのは年の瀬が迫りすぎていて落ち着かないので、なんとかお稲荷様前に、と考えると、休みがなくなるのです。

それでも師匠と二人で回っているからまだこんなもので済みますが、一人で回るようになったら問答無用で年の瀬までかかるでしょうね。よほど計画的に年越しの計画をしておかないと、新年が迎えられない事態も発生しそうです。

正太寺はお盆のおときを中止しましたので、昨年の暮れのどき以来、1年ぶりとなります。お檀家さんと一対一や二対一などでお話しできるのもつまりは1年ぶり。

久しぶりに嬉しくて、つい長居をしてしまいます。コロナも心配ではありますが、今の湖西市での状況を考えたら、マスクや消毒などの基本的な感染症対策さえしていれば、多少話し込むのも危険はないでしょう。

私はそう思っているものの、お檀家さんの側でもやはり色々悩んでいらして、お茶を出して良いものかどうか、話し込んで良いものかどうか、色々考え込んで今日の日を迎えてくださったようです。

訪問日を知らせるお手紙に、お茶をくださいとも書けないので、今までは書いてあったお茶を遠慮しますという表記を無くしただけでお手紙を出したのですが、それが悩みの原因となってしまったようで、その点は申し訳なく思います。でも、悩んでもらえたというのはとても嬉しくて。

余計に話し込んでしまうのでした。

おかげで足が心配。

膝のダメージは加算式となっていまして、閾値を超えると常時痛みを感じるようになります。そこまで行かないうちにスケジュールを終えられれば良いのですが、毎回どこかで閾値を超えます。今年はそのタイミングが早まりそうですね・・・

でも嬉しいのです。以前は膝の痛みや喉の痛みがつらくて、檀家さんとお話しするのは楽しみだけれど、お経を読むのは本当に修行だな、と感じていました。でも、お盆に一度中止して、今またこうしておときができるようになると、各家のお仏壇でお経が読めることもまた喜びなのです。ご先祖様それぞれに、また会えて嬉しいですと声に出したいぐらいに。

一度失うと大切さが分かるという典型例ですね。これからも大切にしていきたいと思います。

膝も大切にしたいんですけどね。

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