書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

暮れのおとき開始。夜は新職員歓迎会

暮れのおときが始まりました。一時期、毎日お経を読んで回りという行為を、ひどく辛いものと感じていました。膝は痛みに悲鳴をあげるし、かかとはお尻に触れるだけで痛みが走るし、喉は常に傷んだ状態になるし、まともな体調を維持できないほどにまでなります。

その辛い日々を支えているのが、お檀家さんとの会話でした。お経の前、後。時には後のことを忘れて話し込んでしまうこともしばしば。でも、そうして直接お檀家さんとお話しできる機会というのは、滅多にないことです。それが楽しくて、もはやそのためにお経に回っているとも言えるほどです。

その気持ちは今でも同じように持っているのですが、辛いという気持ちはほぼ薄れて無くなってしまいました。理由は簡単で、1日に回る軒数を減らしたんです。今までは半日に7軒ずつというのが平均でした。これが今、6軒になっています。このたった1軒の差が大きい。6軒目までは元気なのに、7軒目からは膝とかかとが痛み出し、8軒ともなると声が極端に出にくくなります。6軒というのは、魔法の数なのです。

その分、全体の期間は延びました。8日スタートで20日ごろまでかかっていた日程が、今年は5日スタートです。三日も早まっています。暮れのおときなので、少しは年末の雰囲気が出始めてから回るのが理想ですが、是非もありません。

お盆についても同様で、なるべく1日あたりの軒数が少なくなるようにしています。今までは途中に半日空いている日を設けていたのですが、それを省いて、ぎっしりと埋めました。葬儀が出来たりすると予定がずらす余地がないので慌てますが、半日あたりの軒数が減らしてあるので、葬儀を勤めながら、なんとか回れてしまいます。その日はしんどいですけどね。

そんな具合で辛い気持ちが無くなってくると、残るのはお檀家さんとおしゃべりできるという喜びのみ。楽しい期間ということになります。思い立ったことをすぐに実行出来ないという時間的な拘束は変わりませんが、気持ちの持ちようが全然違います。浮かんでくるアイデアも自然と前向きになります。追い込みすぎゃちゃダメなんだなと、つくづく実感しています。

夜は浜松まで移動して、宗務所新職員の歓迎会です。入れ替わりで退任しますから、歓迎というのも変な感じ。激励会と行ったほうがいいかもしれませんが、日中の引き継ぎだけではじっくり話せないことを、夜の時間まで使って、色々と話していこうという趣旨です。そうはいっても暮れのおときの最中ですから二次会までは無理。幹事的立場でありながら、一次会の支払いを終えたら帰路に着きました。今月はまだ連合宗務所会にて一緒に時間を過ごせますし、来年に入ってから、慰労会を催してもらえることになっています。その時にはじっくりと、と思います。新庶務主事さんはすぐに感覚を掴んで私以上にスムーズに仕事をしてくれると確信できる方ですので心配は皆無なのですが、新書記さんたちは戸惑うことばかりでしょうから、色々教えてあげたいこともあります。あんまり出しゃばっちゃいけないですけどね。