書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

呑気に日記を書いていられるのもあとしばらくなのかも

新型コロナのデルタ株がありえない勢いで感染者を増やしているようです。ありえないといっても、先行している諸外国を見ていれば十分に想定の範囲内ではありますが、想定できていたからこそ、なんでそんなに高リスクな行動をするのかなと思えてなりません。

デルタ株以前とデルタ株以降で、新型コロナの性質が全く別のものに変わってしまった印象があります。そして感染の中心は若い世代へ。重症化の中心は40代50代。それ以上の年代は、すでにワクチン接種済みの方々か多く、重症化率が低いようです。嬉しい情報ではありますが、40代の私でもまだ順番が回ってこないですから、感染力の高さに戦々恐々としています。

20代30代でも中等症になる人は増えているようで、中等症って人工心肺一歩手前ですからね。普通の感覚なら重症ですよ。ちなみに軽症が、今までに味わったことがないような苦しみ、と言われています。もはや軽い症状で済む人は超ラッキーと思った方がいいのでは。

そもそも呼び方変えた方がいいんじゃないかなぁ。専門用語としては変えるわけにはいかないでしょうが、報道ベースではもっと酷さが伝わりやすい表現にしてもいいのでは。余分なことは自分たちの良いように編集するのに。

などと書いているうちに、重症患者と重症化リスクの高い人に入院対象を絞るこみ、リスクの低い患者については自宅療養を可能とするという話になったようです。実際問題東京ではすでに入院できない人で溢れているので、現状追認ということのようですが、重症化リスクが高くなったかどうかは誰が判断してくれるんだろう。軽症だったのに翌日だったかに急変して亡くなった方もいましたよね。高齢者じゃなかったはず。

もっとも、病床は簡単に増やせるものではありません。ベッドは工場で作れば良い、建物は立てれば良い。でも人材はそういうわけにはいきません。

医師になるには小学生の頃から猛勉強して進学校に入って医学部入って医師免許取得して研修医の荒波を突破してようやく新人になれるという流れでしたよね?

看護師だって同じことです。簡単に増やせる人材ではありません。

そういうプロの集まりで構成されているのが「病床」ですものね。限度が分かっているなら、そこに達しないように行動するべきで、そうした情報は十分に提供されていたと思います。

仏教に似てるなぁ。仏の教えを実践して幸せになる方法は十分に示されているけれど、それを理解できずにいる人がたくさんいるわけです。もちろんそれは布教するべき我々僧侶にも責任の一端はありますが、一方で、せっかくもらった医者の薬を飲まない人の責任を医者が負わないように、仏の教えを示しても受け入れない人が行き着く先の責任は負わなくていい、とお釈迦様も行っておいでです。(大雑把な意訳)

しかし感染症は高リスクな行動をした一人だけが結果責任を負うわけではありません。そこからさらにうつされる人がいるわけです。より悪質。どうしようもなくうつってしまった人は責められるべきではないけれど、そりゃうつるよね、という行動をした人にはさすがにもう同情できる時期は過ぎたように思います。

ということを書いていたら、なんだか気分が悪くなりました。遠回しであっても人を責めていることにかわりはないので、そういうのはやっぱり向いていないというか。後進の指導にも向いていないということでもあります。ごめんなさい。

新型コロナが変異していっても、個人ができる対策は限られていて、それは当初から変わっていません。そしてその対策は割と効果的に機能するということが、この1年で証明されたように思います。

あとは経済対策をドカンとやってほしいですね。このままじゃ、みんなジリ貧ですもの。これはもう国にお願いするしかないですから。

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