初盆のお檀家さんにおかれましては、ようやくほっとされたのではないかと思います。コロナ禍であまり人が集められないことが、イレギュラーな対応を迫られることにもなり、常に悩みながらお盆をお迎えされたことでしょう。
これでようやくひと段落。心も平穏を取り戻せるのではないでしょうか。
仏教というのは、常に心を平穏に保てるように、それが人間にとって一番幸せなことだから、それを目標に教えが説かれているのですが、法事ごとの苦労を思う、それが本当に幸せにつながっているのかと不安になることは、正直あります。しかし、やらなければやらないで心に不安をもたらすのは経験則で分かりきったこと。苦労を伴っても、法事ごとをやらないで済ませることは難しい。
勝手ながら、亡き人を思うときによぎる不安を解消するために、法事ごとが仕組まれてきたと言っても過言ではないと思慮します。
これもまた智慧の一つの表れ。
それならば、お寺が担うべき役割は、少しでも苦労がなく法事ごとを営めるように支援することです。現状、私はそれがちゃんとできているか、自信がありません。
尋ねられれば答えますし、苦労に気がつけば助言もします。また、例えば選択肢が二つあったとして、どちらを選んでもお小言を受ける、というような状況があったとしたら、お寺がそうやって決めてきたとか言って、とにかくお寺のせいにするようにもアドバイスしています。が、それが果たして役に立っているのか。
お檀家さんからいろんなお話を聞いた経験では、お寺から言われることにはある程度の強制力があり、それに逆らうのは難しいと感じています。ですから、選択肢を選ぶ際の言い訳として、「お寺から言われた」は効果があると期待しているのですが。
もちろん世の中には、そんなものが通じないほどの力を持つご親戚、という存在もいらっしゃるようですが。
ともかく。
苦労を重ねての初盆が終わり、お盆を迎える前よりも大きな心の平穏が訪れていてほしいと願っています。そしてまた、今後より一層確信を持ってそれが期待できるように、お檀家さんの気持ちをよくよく考えて行動しなくてはと自省しています。
皆様、穏やかな心で、今夜も良き睡眠を。良い睡眠は、最上の幸せに通じていますよ。
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