書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

以前と代わり映えしない浜松の街中

お隣の湖西市で新型コロナの感染拡大緊急警報がまだ出ている中。浜松市の状況も決して良い状況とは言えず、インド由来のものも見つかっていて、新聞にはとうとう「市中感染」の文字が登場する状況下にあるのですが。

所用で浜松駅周辺まで車で出かけましたが、人手はいつもの街中でした。もう、政府や自治体がどんなに騒いでも、人の動きは抑えられないのかなぁ。飲み会の状況とかはどうなってるんでしょうね。個人的な好奇心で調査のために夜の繁華街をうろつくほど行動力もありませんし、私の周りではそうした類のものが一切消滅しているので、情報も入ってきません。そもそも家族以外に会うのは檀家さんのみ。

要所を押さえれば、ある程度のコントロールが可能にはなって来ていましたから、この程度の感染者数は許容する、亡くなる方も出てきているけれど、それも許容する、というのであれば仕方ありませんけれど。ガンと比べれば予防しやすい病気だと思いますので、それで誰かが亡くなるのは、私はなんとしても避けたいと思うんですけれどもね。

一方で、感染経路が全然わからない事例もあって、それが私はとても怖い。感染経路不明でも、自分がうつるだけであれば容認できるとしても、私から誰かにうつし、それがきっかけで亡くなったり、後遺症が出たりしたら、後悔しようにも何を後悔していいのかもわからない状況。

世界中に広まる感染症で、誰がいつどこでうつってもおかしくないワケだけれど、それでも自分が誰かにうつすというのはね、自分の中でどうにも処理できない何かを生み出しそうです。しかもその時、自分はほぼ無症状で治ってしまったとしたら。

無症状の場合はウィルス排出量も少ないという説もあって、無症状患者からはうつらない、とまで言う説もあるそうですが。それならそれでありがたいことです。

全体の感染率は、日本においては小さな数字とも言えます。それなのに、一緒に行動している人が感染していれば、ほぼほぼ自分にもうつるというぐらい感染力が強い。いったいなんなんでしょう。すごく矛盾を感じるのに、それが事実という摩訶不思議。

正太寺は明後日からお盆月。お経に回らないことにした反応が怖かったここ数日ですが、今の状況を鑑みるに、回らないことにしてよかったなと、少し心が穏やかになってきています。

ちなみに、浜松街中の人の多さがこの日記を書くきっかけになりましたが、湖西市内の日中の人の動きも、今までとあんまり変わっていないように思います。浜松市民を悪く言っているわけではありませんので、誤解されませんように。

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