書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

日付が覚えられない中年だけど、衰えるにはまだ早い

今日はずっと27日だと思っていました。なぜかって、27日の方が木曜日っぽいじゃないですか。日本中で5人ぐらいは分かってもらえると思うのです。

そんな素敵な一日の終わりを迎えていますが、今日は午前中は大変充実していました。兄の会社の社長さんに呼ばれて色々お話しして、デジタルガジェットの好みが近いことが再確認できて楽しかったです。

午後は、久しぶりに檀家さん以外の人との接触をしたので疲れが出て、いつもの椅子に座って眠るモードに入ってしまい、やりたいことの3分の1も出来なかったのが残念。先日までのような忙しさはないので、心にも余裕があるのが自覚できていて、全然平気ですけれど。

今日が何日かが分かっていなくても、デジタルガジェットのおかげで予定をすっぽかさずに済んでいます。具合的にはApple Watch。手首の時計に予定が出るのですから、さすがに気付きます。20年前なら今日の予定はきっと気づかなかっただろうなぁ。大変あぶない。

でも、20年前は、もっといろんなことに試行錯誤して挑戦していました。自由になる時間が多かったこともありますが、気力と体力も桁違いにありました。今だってきっと、あるはずなんですけれど、うまく引き出せないというような感触です。

新しいことへの挑戦がうまくいかない時には、その辺りを意識しなくちゃと思うのですが、意識しても改善できないのが辛い。衰えを感じます。

悔しい。

悔しいから、もうちょっと頑張りたい。

今日、社長さんに会って、むかーしお会いした時と同じエネルギーを感じました。初めてお会いしたのは、それこそ20年ぐらい前じゃないかな。この人は、全然変わらないなぁ、と。羨ましいのです。

私はこの20年、何をしてきたのだろうか。副住職として、今は住職として、自分なりには頑張っているつもりですけれど、なぜだか湧き出すエネルギーは減る一方です。何かが欠けている気がします。その何かが、思い当たらないのですが。

考えても分からないなら、がむしゃらに、なんでもやってみるしかないのでしょうか。もうそんな歳でもないとは思うのですが、このまま衰えていくのは自分の人生として納得はできません。

やっぱり、人と会うとうのは大事だなぁと思います。リアルに会う必要はなく、画面越しでも全く問題はありませんが、普段の自分の行動半径に存在しない人との接点は、これからも大切にしていきたいと思います。

そんなことを強く思った一日でした。

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