書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

書く事柄を忘れた日

書きたいことがあったんです。これで今日は日記のネタに悩まずに済む、とニコニコだったんです。

それがどうでしょう。いざパソコンの前に座ったら、何を書こうとしていたか覚えていないじゃありませんか。ショック。

こんなにショックなことはないですよ。それ一本で十分かける予定だったから、他に何も考えていなかったし、同時に脳の劣化っぷりにもダメージを受けました。日中、ずっと集中していることの弊害でしょうか…

お経を読んでいるときの緊張感って、なかなか伝えづらいものです。人によっては、完全に暗記していて、お坊さんらしく平常心で、サラサラと読んでいる、というように捉えているかもしれません。

実際に、そういうお坊さんもいることでしょう。きっと。

少なくとも、私は違います。暗記はしていますよ。普通にしていれば間違えることなんてありません。それぐらいものすごく暗記しています。読んでいる回数が半端ないんですから当たり前です。

それでも。疲れから来る脳の衰えなのか、それまでスラスラ読んでいたのに、次の句がいきなり出て来なくなるんです。もうどうしようもありません。こういう時は素直にお経本を開いて確認するのが一番早いしスマート。

そういう時によりスマートに対処できるように、お経本をあらかじめ開いておきます。最近ではiPad miniですけどね。長年使ってきたお経本、多分遅くとも高校生の時には使っていたお経本、もしかしたら小学生の頃からずっとかもしれないそのお経本を、スキャナーで読み込んで、PDFにして、iPad miniに表示しています。あまりに馴染みすぎて、他のお経本では違和感を感じてしまうのです。でももう修復も不可能なほどに傷んでしまったので、デジタル化しています。

私的複製の範囲と認識していますが、厳密にはどうなんでしょうか。ダメと言われると、辛いなぁ。苦労を共にしてきたお経本と、これからも共にありたいのですが。

そんな具合に、お経を読むときには、常に、もしかしたら次の瞬間、お経が出て来なくなるかもしれない、という不安を抱えています。その不安を振り払い、大きな声でお経を読むんです。ずっとです。ずっと。人前でお経を読む際の精神的な消耗はとても激しいのです。朝のお勤めを誰もいない時に読むなんて、とてもリラックスしてお経が読めますから、楽しいんですよ。誰かがいるといないとで、すごく差があるんです。

お坊さんはお経を絶対間違えないと思われているのだろうという思い込みが、私の精神にダメージを与え続けるのです。だからね、一日中お経を読んでいれば脳が劣化するとしても、全然不思議ではありません。むしろ当たり前。

いい加減こうしたことにも順応できていいはずなのですが、現実にこの歳まで順応できなていないので、多分死ぬまで順応できないでしょうね。厳しい戦いです。

まだだいぶ先は長いです。脳が劣化しすぎて回復不能にならないように気をつけながら、勤めを果たしていこうと思います。