書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

寒い寒いと言いながら

くれどきにまわっているときの、挨拶が「寒いね〜」に変わりました。昨日からの冷え込みで、ストーブやファンヒーターを出したお宅も多かったようです。


昨日と思えば今日はお日様が照ってくださったおかげで、午後のいっときはあたたかかったですね。仏間は日がたくさん入るお宅も多いので、お日様の光に救われるような思いでした。


くれのおときには、般若心経と修証義の第一章を読んでいます。住職は般若心経と妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈。いわゆる観音経ですね。曹洞宗では世尊偈と呼ぶことがほとんどです。まず本尊上供という法要を行います。この時に般若心経を読むのですね。この法要で、お釈迦様と高祖道元禅師・太祖瑩山禅師、つまり曹洞宗の言う一仏両祖をご供養します。


引き続いて、先祖供養法要。くれどきのメインとなるのは、ここですね。その際に、修証義をお唱えしています。


時間的にはけっこう短めです。7分くらいでしょうか。もうちょっとかかってるかも。その後にお茶をいただいたりして、一軒あたり15分ぐらいで回れると良いのですが、実際には20分ほどかかっていますしね。


般若心経、今までに何度お唱えしたことか。数千回のレベルです。それでもね、時々どこか分からぬ所へ飛んでしまうことがあります。そういうときはなるべく手前への思い出せるフレーズの所へ戻るようにしていますが、ともかく、数千回もお唱えしているのに、なぜそんなことになってしまうのか、不思議です。


お檀家さんでも、日々般若心経をお唱えしている方がけっこういらっしゃいます。大変けっこうなことです。そうした方とお経の話になるとたいていこうした話題になりまして、やはり何度もお唱えしていて頭にしっかり入っているはずなのに、ふとした拍子にお経がどこかへ行ってしまうという経験をされています。


これはもう、避けられないことなんでしょうかねぇ。いくら集中していても、不安になることがありますし。ちゃんと意味も把握して読んでいるのに。お経本がいつまで経っても手放せないです。おときにまわるときには、いつもお守り代わりに持ってます。口伝だけで伝えていた時代もあるというのに・・・。とてもその時代には、僧侶になれなかったなぁと、情けなく感じる日々です。