書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

初七日法要はやり方を変えてみた

正太寺では初七日と呼んでいますが、三日七日と呼ぶ所の方が多いのでしょうか?安位諷経と所願忌。

法事と同じように、お釈迦様、道元禅師、瑩山禅師(合わせて一仏両祖と呼びます)のご供養の後、参列者で修証義をお唱えして、最後にご焼香をしてもらう、という流れでお勤めしていました。コロナ禍以来、みんなで読むのはやめて、一人で読むようになっていました。また、読経後の法話も省略していました。

昨日の話の続きでもあるのですが、いい加減お経を読むだけでは貴重な時間を生かし切れていないと我慢できなくなり、やり方変更です。

お経を減らしました。みんなで読めないのなら、いっそやめにして、一仏両祖のご供養の後、すぐにご焼香。これだけだと法要前の説明を含めても、15分ぐらいで終わります。

会場内に一同で留まる時間の限界を30分と勝手に決めて、残りの15分を法話に充てました。

お通夜で話せなかった、葬儀の中身について。事前にお話しするのと、事後にお話しするのとで、最終的にどちらが分かりやすかったかは分かりませんが、あのシーン覚えてますか?と尋ねながらお話し出来たのは新鮮でした。

その際にもお話ししたのですが、葬儀中に棺を担ぎ、慣らし物に合わせて会場内をぐるっと一周まわってみたいですね、いつか。コロナ禍以前から葬儀の参列者が減少傾向でしたから、会場内にスペースがあります。やってやれないことではありません。葬列の読み上げなどを含めてどの程度の時間が今までよりも余分にかかるか、慎重に検討しないといけませんが、最寄りの葬儀場の開式時刻が火葬場との連携の都合で10時30分か11時30分からという、00分から開始とは違ってちょっと分かりづらいので、いっそ中身を増やして00ふん始まりにすると言うのも手ではあります。

新型コロナの治療薬でも出来ないと、結果的に時間が延びるという改革はやれないですけれども。

いやー、それにしてもですね、やっぱり法話をすると良いですね。その場での対話もありますし、お経を読んでいるだけとは違う感触が得られます。聞いている方が退屈していないことを願いますが、表情から察するに、そこまで低評価ではないと思っています。

初七日の場合は、葬儀、火葬に続いての法要ですから、参列者も疲労が溜まっています。ですのでお経が短くなることについては否定的な意見は出ないんじゃないかと思っています。

が、同じことをお年忌に適用したらどうなるのかな、と思案しています。お年忌での法話も今は諦めていますが、そろそろなんとかしたい。お経を短くして、代わりにお話しするというのが受け入れられるかどうか。選択制にして毎回聞いてみるのも良いかもしれませんが、お檀家さんの希望を聞き入れているようで、判断を丸投げしているとなってはいけません。そこの塩梅が難しそうです。お檀家さんとの普段のお付き合いの具合にもよるでしょう。でも、お話ししたい。慎重に試してみようと思います。

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