書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

初めてのお題でお説教

法話というと、最低30分ぐらい話さなければならないような重みがありますが、お説教というと、5分10分で良さそうな気がしています。感覚ずれてます?


法事でお経を読みながら、ふと伝えたいことが頭の中に浮かびました。お経の後が、お説教の時間。休憩はありませんから、考えを文章にまとめる時間はありません。5分程度の短い内容であれば、伝えたいことだけ強調すればぶっつけ本番で行けるかもと考えて、その伝えたいことをストレートにお話ししました。


危惧したとおりの、話の進行がちぐはぐで、お世辞にも聞きやすい話ではなかったと思います。携帯電話でこっそり録音しておけば良かったなぁ。後から聞き返したら、赤面ものでしょう。良い反省材料になります。


本当はですね、現代の宗教としては、こういうことはやっちゃまずいんですよ。宗旨に合致しているか、人権問題に配慮しているか、失礼な言葉は含まれていないか、いろいろチェックすべきポイントがあります。原稿を起こして、しっかりとチェックするべきです。その方が話に無駄が無くなり、聞きやすくなります。聞き手によっては、話し手の想像もしないような受取方をする場合もありますから、そうしたポイントもチェックすべきです。


そうは思っていても、伝えたいという思いもまた重要だと考えます。伝えたい時に伝えられなかったら、僧侶の存在価値など無いと思います。ちぐはぐな話でも、ストレートに表現した部分は、しっかりと伝わったはずだと、その点には自信を持っています。お説教の後に、その点にまつわる話で盛り上がったのが、証拠になると思います。


例え問題点があっても、法事の後のお説教であれば、その後の会話の中で修正が効きます。施主家を訪れた瞬間から、話しかけやすい雰囲気作りに心がければ、気になったことを質問してくれる可能性も高まります。そうした努力は、今のところいまく機能していると思っています。


でもま、ぶっつけ本番はやはり厳しいですね。何もお経を読みながら思いつくことないじゃない。もう少し早く頭に浮かんでくれれば、文章を構成して見直す時間もあったのに。