書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

怒濤の週末、日曜日。嵐の仏前結婚式(私のじゃないけど)

マイナーな存在ですが、お寺で結婚式を挙げることも出来るのですよ。僧侶が結婚するときは、お寺でやりますし。
ただ、お坊さんが数人お手伝いに必要になってしまうため、自然とお金がかかるようになってしまうんですよね。これすごい欠点。
ホテルの式場のように常に結婚式に備えておくわけにもいかず、準備にも手間がかかります。人手だってその都度お願いして手伝いにきてもらわなければならず、それがまたご住職方なのですから大変なことです。


滅多に見かけないし、ホテルなんかで挙式するよりも高く付くし、ウェディングドレス着れないし、というわけでいざ結婚しようという段階になっても一切考慮に入れられない仏前結婚式。いやまあ、和尚が一人でやれるようにやり方変えれば良いんですけどね、なかなかむずいんですよ。式の意味合い上省けないところばかりでして。
ちなみにドレスは披露宴でいくらでも着れます。


さあ、こんな仏前結婚式ですが、本日、誰も考えなかったような画期的な方法が登場しました。すなわち、「友人婚」


・・・なんか言い方が違ってる気がする。つまりまあ、式師をのぞいてほかのことを、すべて友人の手によって行おうというスタイルです。
今日行ったのは、兄の親友の結婚式。しかも正式な物かという微妙な位置づけです。本人たちだけで海外で挙式をしてきたのですが、それではお嫁さんの親戚に悪いからと言うことで両家親族そろっての食事会を開いたものの、付き合いの深い友人たちが、両親にも結婚式を見せてあげなきゃ、そして自分たちも楽しませてもらわねば、ということで、一番手近な正太寺で仏前結婚式を挙げ、近くのホテルで手作りの披露パーティをやろうということになったのです。


ついでに、新郎には式直前まで内緒にして。<--ここポイント


ほんとうに仏前結婚式を挙げるとなると、上に書いたようによその和尚さんにお手伝いにきてもらわなければならいのですが、このような事情や金銭面のこともあり、人手が必要な部分は「俺たちがやるから」という友人たちの言葉にちょっと感動し、このようなスタイルの結婚式が行われることになったのです。


でも、正太寺でやる以上、ふざけ半分では済ませません。友人たちも、その点は承知していて、両親たちに「おちゃらけでやっている」とは絶対に思われたくないと強く願っていました。
準備は周到に。次第や配役も事前に連絡して、備えておいてもらいます。前日には会場準備に来て、きれいに飾り付けをしていきました。これはこちらが要請したわけではなく、当然自分たちがやるものだと認識していてくれましたから、こういうところからも本気度が伺えます。
当日はかなり本気モードで朝から特訓をしました。あえて専門用語を訳さずにそのまま使いましたし、かなりハードだったと思います。我々僧侶からすれば当たり前の作業でも、彼らにして見れは未知の世界の出来事なのですから。一つの動作にいったい何の意味があるのかも分からず、ただ言われるがままに練習していました。30を越えた男たちがですよ、仕事でもないのに文句一つ言わずに真剣な顔つきで練習するんです。一人ぐらい脱落者が出てもおかしくないのに、全員の気持ちが一つになってるんですよね。新郎新婦のためにという思いで。


かっこいいじゃありませんか。


そして本番直前。ようやく新郎にすべてが告げられます。新郎は2時間ほど前に会場入りしているのですが、裏口から入ったため事の重大さを知りません。知らないまま、袴姿に変身です。新婦側の兄弟までが遠方より駆けつけているということすら知らないまま。
開始15分ほど前になってようやく会場を見せてもらい、うろたえていました。
が、なんだかどこか、照れ隠しのようなところも感じられました。うれしくないわけないですものね。


いよいよ本番が始まります。私もさすがに緊張しました。式師をするのはもちろん初めてです。後半には、式師がおさしとをする時間もあります。ゆうべ必死に原稿を覚えました。本番中はそれを忘れないように必死です。


いくら特訓をしたといっても付け焼き刃ですから、当然細かなミスは出てきます。でも、みんな真剣な表情で、ミスしても決して笑ったりしないから、式は見事に厳粛さを保っていました。友人たちが何よりも望んでいた厳粛さ。それが、ちゃんと表現されたのです。


寿珠授与、指輪交換、三三九度、誓約文、そして私のおさとしと、すべてが順調に進み、無事円成となりました。三三九度の杯が、妙に大きかったのは気のせいということにしておきましょう。


式の後は会場を移して結婚披露パーティです。私も招待して頂きました。こちらも手作りで、友人たちの絆を感じさせる、楽しいパーティでした。ちょっと泣けました。



こうして、友人たちのとっぴな発想から始まった一風変わった仏前結婚式は、無事に執り行われました。
とっぴであることは確かです。準備も練習も大変でした。でも、今まで見た結婚式の中で、一番すばらしかった。宗教に関係なく行うような友人婚は今までもあったかもしれない。でも、しっかりと仏式に則った友人婚は、滅多にあるものではないでしょう。


ご両親も喜んでおられましたし、本人たちだってうれしかったことでしょう。そして、普通なら結婚式には出番のない友人たちが、その結婚式を中心となって盛り上げることが出来る。一度やってみて、これはすごいことだと感じました。


僧侶の手による、きっちりと組み上げられた完璧な仏前結婚式も素晴らしいです。でも、こういう形で友人たちが二人を盛り上げられる仏前結婚式も、素晴らしいと思います。


僧侶の結婚式は、たいてい近隣寺院のご住職や、親しくおつき合いをしているお寺さんにお手伝いして頂きますから、言ってみれば友人たちによる今日のような仏前結婚式と同じようなものなのですよね。
仏前結婚式を見て、良いなと感じるのは、そこの部分が大きいのかもしれません。この感覚を、もっとたくさんの人にも感じてもらいたい。
今度誰か結婚する友人がいたら、勧めてみようかなぁ。