近々、仏前結婚式を正太寺で執り行うことになりました。その準備に、ようやく追われることができるようになっています。
変な表現ですがこれが事実です。ようやく。ようやくですよ。ようやく腰を据えて取り掛かれる時が来たかと思ったら、やることに追われているんです。
過去に作成したものたちがことごとく役に立たない。これはびっくり。
式師示訓という場面があるのですが、式師、教会式で言うところの神父さんの役割ですが、その式師がお祝いと諭しをするのです。よかったね、頑張れよ、という単純なことなのですが、昔から使われてきた定型文としての式師示訓は中身が時代にそぐわなくて、使い物になりません。
夫は外で働き、妻は家庭を守る。そういう前提の文章になっているんです。
現代日本では共働きが当たり前です。これでは言われた方もピンときません。元からある内容と、ネットで検索して出てきた写真に写り込んでいる内容と、読み比べて勉強して、ようやくこれなら大丈夫というものが出来上がりました。
新郎新婦が読み上げる誓いの言葉も、古い言い回しを書き換えて、さらにより現代の生活に即したものに変更。良いものになったと自画自賛。
事前に打ち合わせに来てくれるので、その時に誓いの言葉を見てもらって、加えたい内容があるかとか、確認をするつもり。こういう対応ができるのが仏前結婚式のメリットと言える、かな?人前式だと自由ですけれど、神式やキリスト教系は、そんなに自由にできないんじゃないかと勝手に想像してます。実際のところ、どうなんでしょうね。
そもそもキリスト教は神父さんから誓いを確認される出したよね。カトリックだけかな。
今、それを、調べている場合ではない。
それでこの誓いの言葉、仏前結婚式では新郎新婦が読み上げるのですが、通常ですと、新郎が一人で読み上げ、最後に自分達の名前の部分だけ、新婦さんも自分で名前を言う、という流れです。でも、今回は式までに少し時間のあるタイミングで渡せるので、二人で声を揃えて全文を読み上げてもらおうかな、と考えています。絶対その方が良いですもの。相方が読み上げたのを聞いて納得するよりも、お互いに声を合わせて誓いを述べた方が、身に染みるに決まってます。
一日中支度を進めていると、新郎新婦が式を挙げているイメージもはっきりとしてきて、良い式になりそうな予感もしてきました。楽しみです。とても楽しみです。
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