書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

高い、けど必要

晋山結制の模様を、一応ビデオ撮影する予定でいます。家庭用ビデオカメラを使い、撮影者は兄。撮影に関しても当然素人ですし、法要の流れについても素人です。ただ、三脚で固定で撮影するにはスペースに余裕がないので、とにかくカメラを持って移動しながら撮ってもらう必要があります。

そこで問題になってくるのがバッテリー。三脚で固定撮影なら、AC電源を直接繋いで撮影する方法が取れるのですが、移動しながらだと、バッテリーだけで撮影する必要が出てきます。

手持ちのビデオカメラ、調べてみたらバッテリーが13,000円もします。むう・・・

写真ももう一人の兄に撮ってもらうのですが、バッテリー1本で300枚弱という撮影枚数。真面目に撮ったら半日で1000枚ぐらいは行ってしまうものです。とても足りない。

というわけで、バッテリーを注文です。幸い、市場在庫が豊富なようで、今日の日中に注文したものが明日には届くという速さ。物流に携わっている皆様、ありがとうございます。

必要なバッテリーを買い揃えたら、37,450円になりました。でも、プロに頼むよりは安い。高いけども。毎月給料を心配しながら運営している正太寺にとってはかなりの高額だけれども。

それでも、晋山結制という、僧侶にとっては生涯に一度だけ、檀家さんにとってもたいていは一度しか経験しない、そういう貴重な儀式を今の技術で記録に残すためだと考えたら、必要な出費なのだと結論づけました。

編集して参列できなかった檀家さんに見てもらうように配信することもできますしね。恥ずかしいけど、でも、菩提寺の晋山結制はこういう様子でしたよというのは、見てもらいたい思いも強いです。

ただ、晋山結制が終わるとすぐに暮れのおときが待ち構えています。来賓寺院へのお礼まわりもありますし、お稲荷様の例大祭も。今のところ年末年始を過ぎるまで休日が設定されておりません。なんということでしょう。

お正月過ぎたらどこかへ出かけようか。最近はそんなことも考えるようになってきました。ようやく、晋山結制の「後」について考えるようになってきました。ここがゴールのように思えてしまいますが、晋山結制を終えるとようやく一端の住職の仲間入りです。まだまだ、ここからが本番なのですよ。

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どうしてでしょう、今日も草刈りをしている

草刈りをやり残していた部分の草刈りを、ささっと終わらせようと午後一番から作業を開始したのですが、目標部分を終えた後にバッテリーに余裕があるからと、その近くの墓地の草刈りに突入。もう直ぐ終わりという頃になり、ツツジが墓石に覆い被さっているのを発見して、これはまずいとなり、バリカン登場。

当分手を入れなくていいように、極力短く刈り込みます。枝が太すぎてバリカンではどうにもならないところまで刈り込んで、よしにしてあげました。

他にもこれ以上大きくなってほしくないいくつかの木を剪定して、さて、片付けです。

芝刈り機による作業は、片付け不要。終了時点ですでに片付いています。本当にこれは素晴らしい。

バリカンで剪定した後は、大変な事態です。すでに時間は16時半近く。もう直ぐ日が沈んでしまいます。これはまずいということで、慌てて師匠を呼びに行きました。70歳代後半の師匠を駆り出したのです。

二人がかりで急いで片付けをして、すっかり日が沈んで周りがよく見えなくなった頃、やっと作業が完了しました。暗いので本当に完了しているのかよく分かりませんが、ひどい状態ではないのでよしとします。

結局、午後からの半日は、草刈りと剪定に費やしてしまいました。これで概ね気になっていたところはさっぱりとしたので良かったのですが、うーん、晋山式終わるまで檀家さんを待たすのも気の長い話だったし、今日片付いちゃって、きっと良かったのでしょう。

あとは再び建物の中に戻って、最後の仕上げです。すでにかなり片付いていますが、まだまだ先は長いです。普段はそんなに広くないお寺なのに、片付けをしようと思うと、果てしなく広いです。

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草刈りを終え、次のステップへ

あ、まだ残ってた・・・

山の上の墓地の草刈りを終えました。斜面になった部分とか細かなところは残っていますが、お参りをする範囲で草が邪魔になることは無くなりました。ひとまず。

そして、先週から両膝が痛くて日常生活にも不便をしていたのですが、原因が分かりました。

芝刈り機。

芝刈り機を押すだけなら軽くていいのですが、引いて戻ったり、斜面を無理やり走らせたりするときに、かなり膝に負担をかけていることに気がつきました。

気づくのがちょっと遅すぎる気もしますが、今までは芝刈り機を使うタイミングでは膝の痛みがたまたま多少改善していたため、膝を使っている意識がなかったのです。今日はどうにも痛い中、でも時間に追われて作業をしていて、ふとやたら膝が痛い瞬間に気がつきました。

無理しちゃいけない体のようです。特に膝は、長年の酷使で相当ボロくなっているようで、こんな作業でも痛みの原因になってしまうのですね。

お盆のお経に回っている時も、膝が痛くなるまでの時間がものすごく短くなっていましたからね。

今後、芝刈り機を使うときには、極力膝に負担をかけない使い方を心がけないとなりません。これはやばい。土日に芝刈り機を使っていなくても、痛みは無くなりませんでした。2、3日では治らないということですから、晋山結制までの日数を考えたら、芝刈り機を動かせる期間はもうだいぶ短い。

計画的なご利用を。

さて、次々に仕事が待っていますよ。まだまだ休日はやってきそうもありません。4と9の付く日はお休みしなくちゃいけないんだけどなぁ・・・

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お気づきかと思いますが、自転車に乗っていません

最後に乗ったのは、小学校の運動会へ行った時ですから、もう3週間前になりますね。あの日は曇り空だったけれど、汗かいたなぁ。子供達もそこそこに暑かったことと思います。でも運動会の気候としては抜群だったと思います。良い日でした。

自転車に乗っていない理由を一言で言えば、たかだか30分を確保できない、と言うに尽きます。時間があれば乗ってるよ!と言う具合です。

走っている時間が30分なので、準備に数分、終わって息を整えるのに10分ぐらいは必要です。折りたたみ機構が優秀すぎて畳んだり開いたりは本当に数秒でできてしまうので、そこは問題ではありません。単純に自分の仕事が遅いのか、多すぎるのか。

尊敬する先輩が、宗務所に勤務しながら、先代様の本葬儀とご自身の晋山結制を成し遂げました。だいぶ当日が近づいてきたある日、宗務所職員の懇親会で食事をした後、カラオケを聞く機会があったのですが、BEGINの歌を熱唱する姿と、その声が、今も記憶に色濃く残っています。

普段とは違う少し掠れた声が絶妙にマッチしていて、何曲でも歌ってもらいたいほどでした。

あの掠れは、どう考えても過労からくるものだし、当時もそれは認識していましたが、今、自分が晋山結制直前の立場となり、物凄い仕事量に襲われてみると、今の私以上の忙しさだったはずの先輩のあの声は、まさに心と体の叫びだったのかな、と。すごいものをあの時聞いたんだな、と。

そしてさらに、よく倒れなかったなと、より一層感心するというか、もはや驚愕です。

私は無事に当日まで立っていられるだろうかと、そろそろ心配になってきました。今夜は20時半近くまで、総代さんにお寺まで来てもらって、晋山式の日のお世話人さんの係のマニュアルを詰めてもらっていました。これからの時間は、PTAの充て職で請け負った教育委員会のある資料を眺めながら意見などをたくさん書くというお仕事。14日までに提出となっているのですが、14日までというのは、14日当日はギリギリOKという意味なのでしょうか。いずれにせよ今晩ぐらいしかやる時がないので、今から、眠気と闘いながら頑張るしかありません。

頑張れるかなぁ。

でもこれ、この資料をまとめるだけでも相当の労力だし(厚い)、その後のことも考えたら考えられないほどの作業量。こんな仕事をお役所では毎日やってるんでしょうか。しんどいなぁ。

それでも、忙しく仕事をしている人たちにも、自転車に乗る時間は多分あるんですよ。賢い人たちは、そういう時間を作り出せるんですよ。それが出来ていない自分が情けなくもあり、能力に応じた生き方をしなきゃならないよな、という思いもあり、まだまだ成長するんだ、という思いもあり。

ともかく、今はあれこれ考えずに、晋山結制の無事円成を目指しましょう。自転車はそれから。もう昼間に走れる季節です。気持ちいいだろうなぁ。楽しみだなぁ。

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これでPTAの大会参加は最後かな。沼津へ。

全国、関東ブロックに続いて、静岡県のPTA研究大会が開かれました。昨年は浜松が会場だったのですが、コロナ禍につき、中止となり、そして今年は沼津。横に長い静岡県を東・中・西の三つの地域に分け、順番で会場を受け持っているそうです。

そして、次回からは、今まで毎年開催だったものが2年に一度の開催となります。その経緯は知りませんが、お金も労力もかかることですから、それぐらいでちょうど良いのかもしれません。いずれ答えが出るでしょう。

新幹線で三島へ向かい、在来線へ乗り換えて沼津駅へ。沼津って、新幹線の駅がなかったんですね。あれほどの街だから、あるものだと思い込んでました。

会場は駅から徒歩数分。途中にある商業施設内のご飯屋さんでランチを。

今回は!

なんと!

ぼっちじゃ!

ありません!

県内の大会ということで、市内各小中学校のPTA会長さんにも案内が届いていて、地元小学校の会長と、たまたまその友人が別の学校の会長さんだということで、3人で行ったのです。

話し相手がいるというのは良いものです。山形、山梨と、ぼっちで参加してきて、無言で大会期間を過ごすことに慣れつつありましたが、やはり、言葉を発する時があるというのは、良いものです。

こうやって思い返すと、今までのは苦行か何かだったのかな、と思えてきました。

ちょうど各会長さん宛に割と個人的な提案を書いたお手紙を出したタイミングでもあり(校長先生から、今週中に届くように予定してます、とお電話いただいたので、大体届いてるんだと思います)、会場でもその件でさらに二人の会長さんとお話しする機会がありました。

どうせならどこか腰を落ち着けて話し合いたい話題なのですが、県内故に日帰りなのですよね。今までは全部一泊だったのに。このタイミングでどこかのホテルにまとめて部屋をとってもらえていたら、懇親会というほどでなくても、各自夕食後にコーヒーでも飲みながら話せる時間が1時間ぐらい取るということも可能だったのではと、ちょっと残念です。

いやしかし、県内で日帰りだから参加できたという方も多いでしょうし、難しい問題ですね。

湖西市のPTA連絡会では、年に2回の理事会があり、そのうちの1回には情報交換会が合わせて開催されます。校長先生達も一緒にご飯食べてお酒飲んでおしゃべりするのですが、コロナを避けるために今年度も情報交換会は中止しました。

2月に2回目の理事会があるから、その時に何かしらの時間が取れるように提案してみようかな。

お酒が伴うから感染対策が疎かになるのであって、紅茶でも飲みながらのお上品な時間なら・・・話題があればかえってその方が話はまとまりますし。

理事会の後の時間帯、会場を追加で1時間かもうちょっと借りてもらって、インスタントのコーヒー紅茶を淹れて。

なんかできそうな気がしてきた。

人数少ないのでね、会長さんだけで机囲んで、十分に話し合いが成立しそう。学校側の事情を聞きたかったら、校長先生が全員揃っていてくれるわけで、かなり貴重な時間なのですよ。もっと活用したい。

晋山結制が終わるまではもう他のことは一切できないほどに時間が足りないのですが、終わったら相談してみようかなぁ。理事会の中でやるとちょっと堅苦しいので、場所は同じでも、場面を切り替えるだけでも良い効果があると思うんだけどなぁ。

会長さん達、いろんな事情で会長をお勤め中なんだと思いますが、どんな理由で会長になったのであれ、会長になるとやっぱり学校や子供達のことを考える時間が増えて、すごく会長らしくなるというか、良い意味でね。私が知る限りでは、とても真剣に向き合っているように思えるのです。そういう人たちと、おしゃべりしたいじゃないですか。

形はどうでも良いので、おしゃべりする時間を、なんとかして作りたいですね。

話はそれましたが、沼津大会、軽部アナの講演もあって、面白かったです。質問タイムがグタグダで最高でした。実行委員の皆様、ありがとうございました。大変お疲れ様でした。

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カードの引き落とし日を忘れた

大失態。

と言っても、このカードを使い始めてから4回目ぐらいかも。年に一度ぐらいのペースでコンスタントに、残高不足による引き落とし不能を招いています。

この口座、カードの引き落としぐらいにしか使っていないので、給料を受け取るとその中から必要なだけ入金をするという運用。今回、草刈りに熱中するあまり、引き落とし日を失念してしまいました。

今まではカード会社から電話が来たのですが、今回はSMSで指定口座への振り込みの案内が届いただけ。ずいぶんあっさりとした対応に変わったものですが、心臓によろしくないのはあまり変わりありませんね。

ちょうど墓地の草刈り中で、バッテリーが底をついて帰るところだったので、片付けをしてそのままとりあえず口座に入金しに出かけようとしたのですが、車のキーの入ったバッグを持たずに出かけそうになるなど、動揺を隠しきれませんでした。

何回やっても慣れませんね。慣れたくもないですが。

どこかしらの口座にお金を入れて、そこから指定口座へ振り込むだけです。今は振り込みの反映も早くなっていますから、ほぼ即時に反映されているはず。引き落としミスがあると3日ぐらいはカードが使えなくなるのですが、そちらの復活も早くなっていると良いなぁ。

とりあえずまだ使えましたけどね。

どうしてすぐに残高不足になる口座を引き落とし用に指定してるかというと、我が家のメインバンクはそのカード会社の引き落とし口座に設定できなかったのです。仕方なく、他に開いていた口座で都合の良いものを選んだわけですが、常日頃からお金に余裕があればこうした口座に多めにお金を入れておくのですが、そんな余裕ができたことは未だかつて一度もないので、カード会社の引き落とし後はほんのわずかしか残高のない口座となっています。

気をつけているつもりですし、事前にSMSやメールで引き落としの予告を受け取るようにしているのですが・・・カレンダーへのアクセス権を渡すので、勝手に予定として登録して欲しいぐらいです。 (引き落とし日は毎月同じだから、自分で繰り返し予定を入れておけば良いんですがね)

そんな家庭の事情をお話しして、今日の日記はおしまいです。今日も芝刈り機は絶好調でした。私の体が少しついていけなくなっています。斜面をやるのはやはりきついな・・・

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草刈りと、研修と。

朝の諸々の務めを終え、8時から山の上の墓地で草刈りを敢行しました。昨日届いたばかりの芝刈り機を軽トラックで運び、勇んでスイッチオン。

朝露に濡れた草が手強く、何度も刃が回転しなくなりましたが、まずまずの能率で1時間近くの草刈りを終えました。今日は10時から17時まで、年に一度、曹洞宗が僧侶に義務付けた研修会があるのです。オンライン研修なので、寺務所から参加できます。ですから直前まで草刈りなんぞをしていたわけですが。

ですから、作業終了時間を厳守して草刈りをしていたのですが、草刈り機で作業した場合、おそらく2時間ぐらいかかる範囲を、1時間で刈り終えました。しかも刈った草を集める作業がこの後に発生しないんです。なんと幸せなことでしょう。

その分、隅々までキレイにするというわけにはいきません。草刈り鎌や草刈り機を併用しなくては、仕上がりが荒っぽいです。

でも、かなり草の背丈が伸びてきていたので、荒っぽくとも一旦刈るかどうかは大きな違いです。檀家さんにも、やっと刈ってくれたかと思ってもらえることでしょう。

今後はもっと頻繁に草刈りできますよ。片付けの時間を考えなくて良いので、作業時間を読みやすいですしね。

10時からの研修は、昨年同様にzoomを使って開催です。午前中は曹洞宗坐禅の独自性についてのお話し。私は、曹洞宗の修行に関してはあまり本で知識を得たことがありません。道元禅師が言うところを大雑把にまとめれば、文字を読む暇があるなら坐れよ、と言う感じになることを、若い頃に何かで学んだからです。

曹洞宗の修行は徹底的に、緻密に組み上げられていて、後から足すも引くも必要ありません。歴代の祖師方がお釈迦様の教えを伝えてくださり、それを道元禅師が、こう修行すれば良いんだよ、という形に整えてくださった。つまり、その通りに修行すれば道元禅師の教えを体現することができるようになっています。

その修行を生涯にわたって続けることが曹洞宗ですので、自分が修行する上ではそれで十分ということになります。しかし、道元禅師はいくつもの書物を残しています。それはなぜかといえば、自身の教えを頭の先から足の爪の先まで信じ切って修行に取り組める段階にないものに対して、多少は理屈っぽいものが必要であろうという、いわば慈悲の塊ですね。

ただ、現代の曹洞宗僧侶にとって、檀家さんに対して曹洞宗の教えを示していくにあたり、そうした理屈というものも大切になっています。自身の体験を言葉にするのは、これまた難易度の高い作業。道元禅師はその作業すらも、既に済ませてくださっているわけで、なんとも有難いことです。

そうした理屈を使うと、なるほど、曹洞宗坐禅、引いてはその修行の独自性というのは、こんなに分かりやすく言葉にできるのか、というのが今日のハイライト。

曹洞宗は、修行と悟りは分けられるものではないと説きます。悟ったから修行は終われると普通は考えられるところですが、そうではない、と。

今日の講師さんの例えで特に秀逸だったのがこの部分で、悟りの部分を「優しい人になること」と置き換えて、それを目標として生きる姿に例えます。優しい人になるための修行として、電車に乗って席を譲ることを実践します。これは優しい行いです。常日頃からそれを心がけて実践していれば、その人は優しい人であると言えるでしょう。

つまり、優しい人になれた。じゃあ、もう席を譲るのをやめて良いかというと、さて、どうでしょうか。

目標である、優しい人であり続けるためには、席を譲る行いは、やめるわけにはいきません。修行をやめるわけにはいかないのです。悟りと修行の関係は、そういう関係ですよ、と。

修行と悟りを分けることができないというのは、曹洞宗の教えの根幹です。しかし、説明しようと思うとなかなか難しい。今日はこんなにも分かりやすい例えが得られて、それだけでもう大満足でした。道元禅師の著作については、もうちょっと読んだ方が良いなと思い知らされもしました。

読誦する機会のあるお経になっていものについては、何度も読んでいれば自然と頭に入るものですが、そうでないものもたくさんあります。来年からはいよいよそうした時間を確保しやすい人生が待っているような気もします。

私はたまたま曹洞宗のお寺に生まれ、三男坊でありながら縁あって後継者となったのですが、曹洞宗の教えは大好きなのです。他宗の教えにも触れる機会はありましたが、やはり曹洞宗の教えが大好きなのです。みんなに知ってもらいたいし、お檀家さんにはもっと深いところまで知ってもらいたい。その伝え方を一段階分かりやすくするための手段が得られた日でした。

大満足。

芝刈り機も、大満足。

今日は良い日だ。まだこれから法事があるけれど、充実した心持ちでお勤めできそうです。

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