書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

風疹の抗体があった

風疹の抗体検査案内が昨年来ていて、先月末にようやく血液を採取してもらっていました。今月の2日には結果がお医者さんのところには届いていたのですが、今日ようやく聞きに行くことができました。

結果は、抗体がありました。同級生は抗体がなくてワクチンを打っていたのですが、私はどこかで感染していたのでしょうか。子どもの頃の予防接種だけではそろそろ抗体が弱まっているから検査しましょう、という話でしたよね、確か。

風疹にかかった記憶は全然ありません。それともワクチンによる抗体が長持ちしているのかなぁ。先生は、自然感染したみたいだね、と話してくれましたけれども。

予防接種受ける気満々で出かけたので、なんとなく空振りした感じです。自然感染していたとして、その時に誰かにうつしていないといいなぁと、いつのことかも分からないことに不安を感じました。

これが午前中の出来事。お経から戻ってすぐに出かけて。そして午後。お経に回る中で、ついに恐れていた事態が発生しました。

フェイスシールドをどこかに忘れた!

なんて、すぐに見当はつきます。直前のお宅では使いましたから、そのお宅に忘れたことは間違いありません。しかし、気づいた時にはすでに次のお宅のお仏壇の前。線香も立てて準備万端。今から取りに戻るのは無理。

仕方なく、マスク着用でお経を読みました。

もちろん暑かったです。暑い。熱い。吸い込む空気が熱い。これは辛い。

お経が終わり、すぐに前のお宅に伺って、回収してきました。もうフェイスシールド無しではお経は読めません。8月のお盆でも経験したことのない感覚です。全部マスクで回ったら、どうかなってしまいそう。果たして体が慣れることはあるのだろうか。

5月下旬になって、慌ててフェイスシールドを調達した甲斐は、確実にあったと言えます。身をもって証明してしまいました。二度と忘れないようにしようと、堅く誓ったのでした。

草刈り、むずい

午後からお盆のお経がお休みにしてありました。昨日気づきました。そういえば、急な予定変更に備えてクッションの目的で空けてあったなぁ、と。

久しぶりに時間があると、過ごし方が分かりません。全然分かりません。15時過ぎまで休憩として、それから草刈りに出かけました。除草剤を撒いた駐車場ですが、やはり撒き損ねたエリアがあるようで、青々とした草が茂っています。21日のお施餓鬼法要に向けて(今年は初盆の方のみで修行します)、一度は草を払っておく必要があると考えていたので、夕方の涼しい時間を狙って草刈り作務です。

隅々まで綺麗にするというよりは、青い草を刈って、余裕があれば除草剤で立ち枯れしている草をなぎ倒しておくイメージ。1時間ぐらいで予定のエリアを刈り終えましたが、背の低い青い草が、駐車場に敷いてある砕石に最適化されていて、べったりと張り付くように生えているものが大半。これが全然刈れません。

新しい刃だったらもう少し刈れるかもと思うのですが、生憎もう予備がありません。仕方なく砕石を弾きながらガリガリとやるのですが、大きな砕石を入れていることもあり、どうにもうまくいきません。葉っぱだけを少し痛めつけたような感じになりました。

あれだと刈れることなく成長を続けるでしょうね。除草剤はまだ残っているので、次に時間が取れた時に撒いておこうと思います。草が元気なおかげで撒き損ねた場所がはっきり分かりますから、今度は満遍なく撒けるんじゃないかな。

次のチャンスは、早くても13日の夕方です。そこで撒いても21日までには刈れないでしょうけれど、その後の夏の期間に生茂るのを防いでくれるのであれば十分です。7月8月は、おそらく草刈りができませんから。

庭師さんならああいう場所の草刈りはどうやるんだろうなぁ。プロのテクニック、知りたいですね。意外と手で取る、だったりして、そうすると真似するのは簡単なようで大変、ということになりますね。体力がもたない…

マスク姿以外は平穏そのもの

お盆のお経を読みに豊橋市内へ侵入。久しぶりの県境を越えたなと感慨にふけるほどでもないですが、久しぶりなのは事実。

すれ違う車の数も減っている様子はなく、湖西市と同様、豊橋市の少なくとも県境付近は、平穏そのものと言えます。

道行く人がマスク姿であることを除けば。

でもそろそろ、屋外でマスクをつけるのは、無理なんじゃないかな。厚労省が公表している「新しい生活様式」においても、屋外でマスクをつけろとまでは言及していません。屋内にいるときや、会話をする時にマスクを着用と勧めているので、常にはマスクを外していても問題ないと認識して良いのではと思います。

もちろん、咳が出る時は常に着用するか、外出を極力控えるべきでしょう。接客が中心業務の方は、ちょっと風邪をひいただけで仕事ができなくなりかねないという、難しい世界になってしまいましたね。私は風邪をひくと、熱が出なくても咳は出るという具合なので、そうした時に法事や葬儀はどうしようかと悩んでいます。マスクをしていればよっぽどOKと認識してもらえるかな…

あまりに咳がひどい時は、仕事がどうこうよりも、体のために休養するべきですね。正論です。でも代わりがいない人はどうしたら良いのか。答えが出ません。

話が逸れました。豊橋市も、4月25日を最後に新型コロナウィルスへの感染者は見つかっていません。7名です。お一人亡くなられてしまっていますが、それでも人口から考えたら、しっかり抑え込みが出来たという印象です。

湖西市と同じく、そんなにキチキチにマスクマスク言わなくても、という感じがなんとなくあるようですが、それでも気をつけなきゃねーという空気も両立していて、良い塩梅なのかもしれません。

日常的に意識するのは、屋内に入ったらマスク。ついでに消毒。人と話をする時にくっつきすぎない。こんなところでしょうか。この先もっと暑くなると、これぐらいしか取り組みようがないとも思います。21日の初盆の皆さんのお施餓鬼、本堂に入ってマスクをしてお経を聞いているなんて、出来るかなと心配しています。涼しい日になると良いのですが。

あと8日。梅雨間近。

お盆のおときも半分ぐらいとなりました。明日は法事と、予備日として1軒だけ。それを除くと、残りは8日間です。

週間予報では12日以降に雨マークが続いています。その頃に梅雨入りでしょうか。昨年はお経に回っている大部分で雨がついて回ったように記憶しているので、今年は梅雨入りが少し遅いのかな。

調べてみたら、昨年は6月7日ごろの梅雨入りだったようです。平年値は6月8日ごろとなっていますから、昨年がだいたい平均に近く、今年が少し遅めの見込みでしょうか。 (静岡新聞 「静岡県を含む東海地方の梅雨入り・明け 2000年以降」)

www.at-s.com

今日、埼玉県の熊谷市では豪雨だったようです。20分ほどで道路が冠水したとか。そんな光景には出くわしたくありません。少し検索しても怪我人や家屋被害の情報は出てきませんでしたが、道路冠水だと床上浸水ぐらいあってもおかしくないですよね。被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。

日本各地から大雨被害が報じられる時期となってしまいました。今年も台風はしっかりと来るでしょうし、台風が来ると少なからず亡くなられる方がいらっしゃいます。また今年は新型コロナのこともあって避難所の運営も難しくなるでしょう。各自治体では急ピッチで対策を練っていることと思いますが、個人としても食糧備蓄をするなりの対策を見直しておかなくてはなりませんね。

日本はあまり過ごしやすい気候ではなくなってしまったように思います。もちろん、もっと過酷な気候の国はたくさんありますが、今までの日本からしたら、気候によって人生が左右される確率がかなり高まってしまったように感じるのです。しかし、簡単には移住もできませんから、この環境に適応していかなくてはなりません。みんなで知恵を出し合って。台風が来たらコロッケを食べる、とかね。

www.google.com

体力がゼロになった日。ついでに思い出す修行の記憶。

お盆のお経に回りつつ、今日はお役僧も一件。気温は何度?30度行きました?

ニュースを見る時間がないのはいつものこととして、スマホでニュースサイトをチェックすることもせず、一日が過ぎていきます。世の中で何が起こっているのか全然掴めません。夜になったら元気が出るのかな。これは最近顕著な傾向。涼しさは正義。

朝食の直前に急な腹痛に襲われたのが、今日一日の歯車が狂った原因でした。お経の間にお役僧の最中に悲劇に見舞われることはなかったものの、休憩時間にはトイレに入っている時間が長く発生。

でも、下痢症状は2度だけで、いつもの、全部出ればハイおしまい、の腹痛だったのだと思います。ただ、食事からの栄養吸収が万全ではなかったはずで、それが夕方になった今、体が重くて仕方がない結果となって表れているのでしょう。

今日一日で、徹底的に体力を奪われた感じです。腹痛・暑さのダブルパンチ。絶妙のコンビネーションで回避不可なワンツーを決められました。

ニュースが見れない状況といえば、本山での修行を思い出します。新聞もテレビもない世界。完全な孤立状態。年月を重ねれば情報に触れる機会も増えてきますが、上山したての頃は一切の外部情報がシャットアウトされました。内部の情報だってほとんど理解していない状況ですから、右や左どころじゃなく、上も下も前も後ろも分からず、ただひたすら毎日の修行に明け暮れる日々が、強制的に作られていきました。

そんな中、坐禅堂から朝のお勤めをする法堂へ列をなして無言で移動する道中、投げ込まれた新聞があったのです。指導者である役寮という職を務める和尚さん方が読むためのものなのでしょう。毎日必ずそこには新聞が投げ込まれていて、触れることもできない新聞、その傍を通り過ぎるほんの1秒かそこらの間にチラッと目に入る1面のデカデカと書かれた文字、それだけが外部の情報源でした。

情報としては何にも意味をなさない、文字列のホンの一部分しか見えていないのに、そこに外部世界とのつながりを感じて、ホッとする感情と、郷愁と、入り乱れていたあの数秒が、今も鮮明に思い出せるのは、あれがそれだけ特殊な環境だったのでしょうね。

そんな日々にもそのうちに慣れるというのも面白い現象でした。

明日は予備日。お寺が決めた日程では都合の合わなかった方々のお宅を回ります。軒数は少なめ。休息日になるかな?

まだ6月お盆も始まったばかりですが、7月8月のお盆が心配になってきました

マスクをしたままお経を読むのは、6月の時点ですでに危険行為認定です。30度近くの気温の中では、マスクをつけたままの屋外移動も危ない。

マスクの周りが熱くなったままお檀家さん宅へあがり、ろうそくをともし、線香をつけて、そこまでしてもマスクの内部は暑いままであり、肺が熱くなってくるように感じます。フェイスシールドに付け替えてほっとするのですが、午後の一番暑い時間帯はフェイスシールドでも若干の暑さがあります。

まだ6月。梅雨に入ればもう少し良いのかもしれませんが、湿度の影響はまだ分かりません。

これが7月、そして酷暑の8月になったらいったいどうなるのかと心配です。エアコンも強めに効かさないと、辛いかもしれませんね。

ましてや、お寺での法要は…大抵のお寺は本堂に冷房が無いと思います。その状況でマスクなんてしていたら、参列しているだけでも口の周りが熱くてたまらないと思います。お経を読むなんて、フェイスシールドでも多分自殺行為となるのでは…

分かりませんよ。分かりません。体が慣れてきて耐えられるぐらいになるかもしれません。でも、6月にお経を読んで回っている者としては、大変心配になったのでした。

どうぞ各地のお寺様方、ご無理をしませんように。お盆は大事な行持ですが、命がけでお勤めするものではありませんよ。

このお盆に体調不安説

風邪の症状があるわけではありません。いつもの頭痛です。1日から続き、今日で3日目。天候が安定しないのが理由かなと推測していますし、おそらくそれが正解でしょう。長年の経験が教えてくれます。心肺はいらない。

でも、お盆月に入ったこのタイミングで頭痛か続くと、嫌な記憶を思い出します。

もう20年近く前。今でいうところの熱中症のような症状にかかったことがあります。それから数年に渡って、平常時なのに脈拍が120もあったり、血圧が30も下がったりと、とにかく体が本調子ではない状態が続きました。夏の日差しに覿面に弱くなったのも、あの日以来のことです。それまでは夏が大好きだったのに、今では真夏の直射日光に命の不安を覚えるようになっています。

その症状が強くなり手足が震えるようになって慌ててお医者に診てもらったのが、8月の5日。その前の数日間、頭痛が続いていたのでした。お盆月ということで考えれば、ちょうど同じようなタイミングなのです。

ただ、今は6月。同じお盆月でも、気候も気温も全然違います。熱中症になるわけがない。(なりやすい気候ではあります。マスクしてると特に。気を付けましょう。)

その意味では、そのうちに頭痛は収まるだろうと考えているのですが、もしもアレが熱中症ではなく、全然別の病気だったとしたら、という思いもわずかながら抱え始めてしまいました。心配性ですので。

2人のお医者さんに診てもらって、何かの病気という結論にはなりませんでした。その代わり、自律神経失調症とカルテに書かれているのは目撃しました。ドイツ語なのか、アルファベットばかりのカルテだったのに、そこだけなぜか漢字だったのが気になっています。先生、なぜなの?

結局のところ、原因はよく分からないという結論なのでした。だから先生も、カルテに書きこそすれ、患者には何も告げなかったわけで。

ま、でも、複雑怪奇な人間の体です。そんなことも珍しくはありません。病名がつくことの方が珍しいのです。たぶん。あまり気にせず、そう、気にしすぎるのは頭痛にはよけい悪いですから、気楽に薬に頼って明るい明日を待とうと思います。