書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

体力がゼロになった日。ついでに思い出す修行の記憶。

お盆のお経に回りつつ、今日はお役僧も一件。気温は何度?30度行きました?

ニュースを見る時間がないのはいつものこととして、スマホでニュースサイトをチェックすることもせず、一日が過ぎていきます。世の中で何が起こっているのか全然掴めません。夜になったら元気が出るのかな。これは最近顕著な傾向。涼しさは正義。

朝食の直前に急な腹痛に襲われたのが、今日一日の歯車が狂った原因でした。お経の間にお役僧の最中に悲劇に見舞われることはなかったものの、休憩時間にはトイレに入っている時間が長く発生。

でも、下痢症状は2度だけで、いつもの、全部出ればハイおしまい、の腹痛だったのだと思います。ただ、食事からの栄養吸収が万全ではなかったはずで、それが夕方になった今、体が重くて仕方がない結果となって表れているのでしょう。

今日一日で、徹底的に体力を奪われた感じです。腹痛・暑さのダブルパンチ。絶妙のコンビネーションで回避不可なワンツーを決められました。

ニュースが見れない状況といえば、本山での修行を思い出します。新聞もテレビもない世界。完全な孤立状態。年月を重ねれば情報に触れる機会も増えてきますが、上山したての頃は一切の外部情報がシャットアウトされました。内部の情報だってほとんど理解していない状況ですから、右や左どころじゃなく、上も下も前も後ろも分からず、ただひたすら毎日の修行に明け暮れる日々が、強制的に作られていきました。

そんな中、坐禅堂から朝のお勤めをする法堂へ列をなして無言で移動する道中、投げ込まれた新聞があったのです。指導者である役寮という職を務める和尚さん方が読むためのものなのでしょう。毎日必ずそこには新聞が投げ込まれていて、触れることもできない新聞、その傍を通り過ぎるほんの1秒かそこらの間にチラッと目に入る1面のデカデカと書かれた文字、それだけが外部の情報源でした。

情報としては何にも意味をなさない、文字列のホンの一部分しか見えていないのに、そこに外部世界とのつながりを感じて、ホッとする感情と、郷愁と、入り乱れていたあの数秒が、今も鮮明に思い出せるのは、あれがそれだけ特殊な環境だったのでしょうね。

そんな日々にもそのうちに慣れるというのも面白い現象でした。

明日は予備日。お寺が決めた日程では都合の合わなかった方々のお宅を回ります。軒数は少なめ。休息日になるかな?