書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

観察力の無い人

先日、年下の和尚さんから、私の地元の高校生が着る制服の色について質問がありました。湖西市には高校が一つしかありません。地元民なら当然知っているはず。そう思いますよね。

でもその時、答えられなかったのです。今日、その高校の生徒を見かけましたが、よく見る制服でした。いつも見ていたんです。でも、答えられなかった。

私は人の顔をすぐに覚えられません。覚えられる人のことをずっと羨ましく思っていたのですが、もしかして、今回のように地元高校の制服の色すら意識に留め置かない観察力の無さが原因なのかもしれないと、48年も生きてきて初めて原因を探り始めました。

思い起こせば、妻はすごく細かなことまで気づいてくれます。すごいなと思っていたけど、私が観察をしていなさすぎな面もありそうです。すごいことには変わりはないのですけれど。おかげで何度も救われていますし。

でも、普段、ぼーっとして過ごしているわけじゃないんですよ。すごく言い訳がましいですけれど、常に頭は働かせています。ずっと考え事をしています。歌を聞けば歌詞の意味まで考える。何度も、何度でも、聞くたびに。一度自分なりの意味に思い至ってもずっと考えてます。

運転中でもそうなのですから、運転に使う脳みそと、歌詞の意味を考える脳みそ、それだけ使ったら安全運転に必要な範囲以外には注意が向かないのも無理はない、と自己弁護。

そういうことに使う分を、しばらくの間だけでも、周囲の観察に向けてみようかと考えているのですが、でもこれ、意識的に切り替えられるのでしょうか。

無意識の時に行っていることですから、それを意識的に切り替えたら、その間ずっと意識を張り巡らせていることになるのでは。すごく疲れそうです。

でも観察力が何も向上しないにも癪に触るし。探偵さんが主役の物語だと、その観察力の高さが際立ちます。それに憧れるんです。でもそういうことができる人って多分、観察するのが好きな人だと思うのですよ。好きだから、無意識にしているし、意識的にするにしても好きだからハードルが低いんですよ。

きっと。

ここでぐだぐだ言ってても進歩がないので、とりあえずやってみようかと思います。どうやったらいいかな。声に出してみる?気づいたことを声に出す。そしたら記憶にも残りやすいはずです。運転中にも挑戦してみましょうか。私には難しいかもしれませんが・・・くれぐれも、安全運転で。

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