書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

高校の学校祭が近づいてきた

娘が学校祭の準備の話をする回数が増えてきました。秋の運動会ではそこそこの役職に当たっているらしく、学校祭が終わると直ちに準備に入れるように支度をしておかなきゃならない雰囲気のようですが、その前に学校祭。こちらもなんだか役がついてしまったようで、大変そうです。

高校生ながらに自分達で細かなルールを設け、特にお金の面では各クラスで不公平が出ないように厳しく管理されようです。他にも、クラス展のための作業時間も厳守が求められ、違反すればペナルティがあるという話。なかなか厳しいですね。

自分の高校はどうだったかというと、そんな細かなルールは無かったような気がします。お金のことはどうだったのかな。そもそもクラス展というものがなく、部活が中心となっていたような。うろ覚えですけれど。自分は所属する部活の展示物の準備をひたすらしていた記憶しかありません。

直前の準備はさすがに遅くまでかかり、陽が傾く中、屋外で看板の仕上げを手伝ったような記憶があります。多分、あれは、看板だったと思う。

全体を見ていないので、よく分かっていないのですよね。

情報処理部だったので、ゲームの展示がメインだったのです。新作ゲームは先輩が作っていたかな?私は先人たちが開発したゲームを、遊びやすいようにメニュー画面を作るのが任務でした。多分。Windowsがまだ一般化していない時代に、それを真似てマウスでボタンを押すメニュー画面を作ったんです。簡単なプログラムですけれどね、懐かしいなぁ。

それが完成したので、他の所の手伝いに行ったんだと思います。それが看板だったと。自分のメインの任務よりも、ちょっとだけ手伝ったことの方が印象に残っているというのはなぜなんでしょうね。プログラムは普段の部屋で作業したけど、看板は珍しい屋外作業だったからですかね。

3年あったのに、1年分しか記憶にないのも大問題です。同窓会やっても全然話についていけなさそう。怖い。

Facebook上に、クラスメイトかつ同じ部活という人物がいるので、何かフォローしてくれると嬉しいのですが。

・・・彼も覚えていなさそう。そんな気がする。

Twitter上には同じ部活という人物がいますが、同じ作業をした記憶はないんですよね。3年の時にペアを組んで共同制作はしましたが、学校祭や文化祭というものでは無かったし。

あの時ねぇ、BASICでプログラムを組んだのですが、当時の私の中での美学は、一行にどれだけの命令文を詰め込めるか、というものでした。雑誌への投稿プログラムは、誌面の都合もあってか、詰め込み詰め込みだったのです。でも、C言語とかは、読みやすさ重視の時代。マシン語だって読みやすい方が好まれました。今でもそうでしょう。

コンテストに出品したのですが、成績が振るわなかったのは、詰め込みBASICのせいではなかろうかと、ずっと悔やんでいるのです。ほんと悔しい。

ちなみに、開発したのは学習用のコンテンツだったので、後輩たちが使ったとか使わなかったとか。卒業以来、一度も学校の敷地へ踏み込んでいないので、親しかった先生方ともそうした話をする機会もなく。

勉学を中心に生活していた時期の、一番充実していた時代が、高校時代だったと思っています。記憶の中のイメージも明るく、思い出す時に嫌な思い出がほとんど出てこない、幸せな記憶です。

娘にとっては、どんな高校生活なのでしょうか。将来思い出して、無条件に楽しい気持ちになれる、そんな高校生活を送ってくれたらいいのですけれど。

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