書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

集中力が低下している原因にようやく気がつく

普段の法話で一番取り上げていることなのに、自分ごととなる忘れがちなこと。それは、一つごとに集中するということ。

最近どうも集中できない、忘れっぽいと思う事態が増えていたのですが、自分のキャパシティ以上のものを抱えていることにありました。

選択できるのならばいいのですが、そういうわけにもいかないので抱えているんですけれども、普段なら問題なくこなせる物事も、幾つも抱えてしまうとうまくいかなくなってしまいます。

覚えていられなくなるのです。何をどうしていたか、どこまで進めていたか、誰に何を頼んだか、自分が主となる領分はどこまでだったか。

何もかもが曖昧に覚えてしまっていて、再確認が必要になってしまいます。カッコよくない。

せっかく記憶力を補強するためのデジタルデバイスを使っているのに、使いこなせていませんね。電話の後に逐一メモを取るだけでも事態は好転するというのに、なぜか記録しなくても覚えていられると思い込んでいるんです。

以前ならそれでなんとかなりました。実際にちゃんと覚えていて。なんの問題もなかったんです。でも今はそうでは無い。抱えているものの種類がさらに雑多に広がってしまったこともありますが、一番は加齢が原因ですかね・・・

ちゃんと補助デバイスに頼るようにしないといけません。まだまだ自律的に、秘書のように助けてくれる存在ではありませんから、自分から積極的に使わないといけません。どれを覚えておくか選択するのも今は危なっかしいので、電話の後はその内容をとにかくメモしておくようにするべきかも。

テキストベースのやり取りなら、それ事態が記録になるのでとてもありがたいのですが、電話してしまった方が楽な要件というのも多いですからね。電話が嫌いな私がそう思うぐらいですから、電波越しにであっても、会話をするというのはまるで魔法のような力を持っていますよ。

強い力ですから、使い方には気をつけいといけませんけどね。言葉は怖い。それを声に出すことはもっと怖い。ね。

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