書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

香典袋のマナーにびっくりした

御仏前について試しにネットで調べみたら、事細かくマナーがあるとされていて、びっくりしました。

お寺の世界にも、マナー的なものはあります。曹洞宗の場合は香典袋ではなく可漏という奉書紙を折ったものを使うのですが、折り方に決まりがあるのは当然として、お金を入れる際に縦に入れるか横に入れるか、というのも一応まことしやかに囁かれる決まりのようなものがあります。

ただ、曹洞宗僧侶みんなの味方、行持規範という指南書があり、主に法要の細部について困った時にはこれを参照することで概ねどこのお寺でも統一された法要を勤めることができるようになっています。本当に知りたいもっと細かなところは書かれていなかったりもしますが。世の中のあるあるですね。

その行持規範には、お金の向きまでは書いてありません。書いてないということは、向きについてはどうでも良い、と。

香典袋に入れるお金は、裏面が表側になるよう、肖像画が下になるように入れるんだそうです。多くのマナー指南サイトに書かれていました。私は初耳でした。

曹洞宗のお寺での大法要の時には、そのお寺の住職は、可漏にはほとんど触れません。受付の係が中のお金を取り出し、集計してから住職に渡します。

一般のお宅での葬儀の際も、一昔前は、受付の係が香典袋を開けて、全部集計してから喪主さんに渡していました。

どんな向きで入っていても、肝心の本人は見ることがないんです。(今は、一般のお宅の葬儀では、香典袋には手を触れずにそのまま喪主に渡すことがほとんどだと思いますけれど)

もっとも、見えないところまで心を配るのは悪いことではありません。ただ、裏面が表側に、肖像画が下になるように入れることが、何か弔意を表しているかというと、そんなことはないと思うんです。

葬儀の香典は、訃報に接して急いで準備したという表れと、あらかじめ用意していたわけではないという表れのために、新券ではなく少し使われたお札を入れるというマナーもありますが、今の時代、葬儀まで日数が空くことも多いため、忙しい中でも新券で用意してきました、という気持ちの表し方もあって良いわけです。数えにくいからやめた方がいいですけど。

マナーというのは、おそらく、楽をするために存在しています。その通りにしておけば問題がない、決まり通りにしておけば失礼に当たることはない、考えなくていい、そういうために存在しています。多分。

だから、絶対的なものではないんですよね。相手を気遣い、その気持ちが伝われば、それが一番。相手との阿吽の呼吸もあるため、マナー通りにしておくのが無難ではありますけれども。

ただちょっと、今世の中に広がっているマナーの一部には、余分なマナーが含まれていると思います。今日取り上げたお札の向きは、そうした余分なマナーに含まれると思います。そもそも仏教では、お金は喜んで捨てるもの→喜捨→布施という対象物です。捨てたお金がその後どのように扱われようが、そこに思いを馳せてはいけません。

親族間や知人間でやり取りされる香典や御仏前の類もそうした心持ちで行うべきでありますから、捨てる気持ちでやり取りするのが望ましい。ついては、捨てるに際してその向きに気を使う必要はないわけです。

歯ブラシが役目を終えて、それを捨てる際にはありがとうの一言も必要ですが、人間の執着が強く働くお金というものに関しては、投げ捨てるぐらいの気持ちでもって手放さないと、本当に手放した気持ちになれません。その後のことが気になってしまいます。

そういう具合なので、結局のところ、マナー通りにすれば良いというのではやはり不足であり、なぜそのマナーがあるかまで遡っていちいち考え込まないと、相手に気持ちを伝えるには不足があるんではないかと思うのです。

困ったらマナーの書かれたサイトを読み漁るよりも、お寺の和尚さんに聞くのが手っ取り早いですよ。皆さん、私と同じぐらいにはこういうことを考えてらっしゃると思います。多分。

そういえば先日、朝のテレビ番組で、お賽銭の金額などについて、「神社仏閣専門家」という方に伺いを立てている場面がありました。普通にお寺と神社に聞いてよ・・・(普段テレビ見ないのに、たまたま見ちゃったんだよなぁ)

ご縁を得るために穴が空いた硬貨が良いとかね。そんな話だったわけですが、そんなのでご縁が得られるわけがないじゃないですか。金額が多い方がいいに決まってるじゃないですか。

お寺でのお賽銭は、お金を捨てる修行です。仏様から見たら金額の大小で修行の意味は変わりませんが、お金を捨てる側から見たら、金額が大きいほど強い気持ちが必要です。だから、金額が大きい方がいいに決まってるんです。その人の修行なんですから。大きなお金に執着を持たなくなるなんて、ものすごい精神力ですよ。

神社の場合は相手は神様です。金額が大きい方がいいに決まってるじゃないですか。そのお金を使って、神様のためのお社が修繕されたり建て替えられたりもするわけですよ。神様を喜ばせたいなら、そこに貢献できるほどの金額をお賽銭するべきでしょう。

一般的な考え方と、宗教的な考え方って、身近なことにおいてもこんなにも違うんです。ビジネスマナーにも首を捻るものがたくさんありますが、宗教マナーも同様です。振り回されないように、聞くべき人に聞ける体制を築いてください。

——————————

基本的に毎日書いてます。 何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。
noteも結構書いてます
Bloggerにブログも書いてます。こちらは数日置き更新。「もばいる坊主