書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

住職の毎日のお仕事

これ。

この日記。

この千文字前後の日記。

これが毎日の仕事。そして一番大変な仕事。

パソコンに向かってキーボードを打つのは好きな時間なのですが、日記を書くのは時として苦しい。書くことが湧いて出る時は楽しいですが、大半の日はそうではありません。

なんでこんなこと始めたんだろう。始まりはいつ?

はてなのサービスを利用するようになってからだけでも、投稿数が6900を超えています。単純計算で18年と8ヶ月分。

一日に二つ投稿していた時期もあるので厳密には違いますが、とはいえ、それ以前にも毎日書いていたことを考えると、20年以上はやっているんでしょうか。

一時期、時には一週間分をまとめて書くなんてこともありましたが、ここ数年は真面目に毎日書いています。よほどのことがあっても、書くだけはその日のうちに書いておいたりと、工夫して。

今日の日記もですね、17時ごろに書く時間を設けたのですが、書き始めるに至らず、今20時15分。書く内容が定まったのはほんの数分前のことです。キッチンのタオルを洗濯カゴへ入れるために手に取ろうとした瞬間に決まりました。

考え始めた時間はというと・・・さあ、私は何時に考え始めるのでしょう。

実際のところ、ほぼ一日中考えています。目に映る光景、耳に入る音、鼻に入る香り。心に浮かんだ感情、頭に描かれる意識。食べ物のことはあまり書かないのですが、とにかくいろんなものを「日記に書けるかどうか」というフィルターに通しているんです。そこに引っかかると、先ほどのタオルを手にした瞬間のようにビビッと来るんです。

そのあと、それを文章化できるかどうかを考えます。ここまでは無意識に行っている時も多いですが、文章化については当然ながら意識的に行わなくてはなりません。

フィルターに引っかかるのは、結論の部分。導入部までついでに引っ掛かってくれればラッキーで、こういう時は間に文章も自動的に組み上がります。キーボードに向かって導入を書き始めれば、自然と最後まで到達します。たいていは。

結論だけの時は、何から書き始めるか、どう話を進めるか、そんなことを朧げに考えます。文章としてはオーソドックスに起承転結で構わないので、それぞれの部分に、一文とまではいかなくても、文章になりそうな言葉が見つかればオーケー。きっと文章化出来ると前向きに判断します。

実際に書き始めてから文章が迷子になり、書き終えるまでに数時間かかることもありますけれどね。

こうしたことを繰り返している。そんな日々です。私を見て、ぼーっとしているように感じる時は、何かがフィルターに引っかかって文章化を試行錯誤している時が多いんじゃないでしょうか。めんどくさそうに返事をする時も。

日記を書くためというよりも、もはや目的を見失ってそれが日常の動作になってしまっています。日記を書かなくなったら、果たしてどんな一日を過ごすんだろうか、今日タオルに触れてから疑問が湧いてしまいました。

せっかくここまで体に頭に染み付いたなら、アクセス数を稼げる方向にも努力をして来ればよかったと、今更思います。たくさんの人の前に出たいわけではないけれど、せっかく書いた文章をたくさんの人に読んでもらいたいという気持ちはあります。たまには良いこと書いてありますから。

今日は書き始めるのに時間がかかったけれど、いざ書き始めてしまえば、ここまで15分で辿り着きました。結構早い方です。誤字脱字のチェックはしません。これはいつものこと。昔はしていましたが、時間ギリギリでの投稿を繰り返していたら、誤字脱字があっても平気になってきました。

何かのきっかけで読み返して、変なところがあれば直すようにはしていますが、何年も前の日記に間違いを見つけると、さすがに恥ずかしいですね。

私の一日がかりの日記、いかがでしたでしょうか。ぜひ毎日読んで、たまに見出されるちょっと良い話を見つけてください。今日の日記には無いと思う。

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