書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お盆の点検と原稿書き

いよいよ来週から、7月お盆のお手伝いとなります。数えてみたら全部で20軒だけ。正太寺なら二日かからずで回ってしまう軒数です。ということは、お経はゆっくりなんだろうなぁ。お経のペースも確認しないと、速すぎてお叱りを受けることになるやもしれません。

いただいた一覧表を見ながら、GoogleMapで確認をしてみたのですが、これがまた全然思い出せません。打ち合わせの時に使ったゼンリンの地図を見ながらであればもう少し思い出せるのかもしれませんが、お師匠様から教えてもらった駐車場の位置など、記憶のタンスの中から引っ張り出すことができません。これはやばい。やはり少し早めにお寺に入って、念入りに再度地図を眺めた方が良さそうです。一週間と経たずにこの忘れ具合。自分の記憶力にはそもそも自信はありませんでしたが、さらに頼りにできないと認識を強くしました。

午後からの時間は原稿書き。昔、積極的にお手伝いをしたことのあるボランティアサークルが月に一度ぐらいのペースで発行している機関紙に、800字ぐらいで何か書いて欲しいと依頼がありました。お盆中でしたので、お盆が明けたら書きますねとお約束していたのですが、ようやく取りかかることができました。もう私を知らない人も増えていそうなので無難に自己紹介を書こうかとも思ったのですが、つらつらと書いていくうちにいつの間にか、今の多忙な状況でも自然と関われるようにアイデアギブミー、という内容となりました。

私の書く文というのは、冒頭部分を書き始めることができれば、あとは指が自然に書いてくれるというものです。自然に書ける範疇を超えていくと突然筆が止まり(キーボードですので止まるのは指ですけれど)、そのまま硬直して当分続きがかけないこともよくありますが、基本的には指が勝手に書いてくれます。便利な指でしょ。

問題なのは、書いている自分でも文章の着地点が分からないということ。この日記なんかは、着地できずにふらふらしたまま終わりにしてしまうこともありますが、依頼された原稿となると、ちゃんと着地させないといけません。今回は、着地をする最後の2行ぐらい、指が止まって随分と時間がかかりました。

文章を書くのは大好きですが、指が止まると苦しくなります。多分インプットが足りないのかなぁ。もっともっといろんなものを頭にインプットして、いくらでも自然に書けるようになりたいなと思います。そういう文章は、商売には使えないでしょうけれどね。