書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

スマホも時計もない時間

昨日の机の話、総代さんが今日お店で切ってもらう寸法を伝えに行っているはずだけど、切ってもらったら後戻りできないなぁ、どこか間違っていたら買い直しなんだよなぁ、などと考えているうちに一日が終わりました。総代さん、他の役員さんもそうですけど、いつもありがとうございます。結構負担になる仕事を頼んでしまったように思います。本当にありがとうございます。

師匠のお兄さんの一年祭に参列するなどして日曜日が過ぎていったわけですが、私には夜中になってから、スマホも時計も持ち歩かない時間が発生します。

スマホの電池がかなり減り、充電中。同じタイミングで時計であるApple Watchも睡眠トラッキングに向けて充電中。

夜中になって誰かから連絡が来るほど若者ではないので、外向けには問題はないのですが、単純に時計が見られないというのが小さな問題になったりします。

手首に目を落とすだけで知ることのできた現在時刻。ポケットからスマホを取り出すだけですぐに表示される現在時刻。

その現在時刻を知る術が、壁掛け時計がメインになってしまいます。これが意外に不便で、時計がない場所にいる時に限って、時間を知りたくなります。

Apple Watchを着け始める以前は、時計は外に出かける時に身につけるものでした。それが今や、一日のほとんどの時間、Apple Watchを着けて生活しています。それに伴って、時間は手首で確認するものとなり、無いと不便に感じるほどになったのです。

デジタルデトックスをしてスマホなどのデジタル機器のない時間を楽しもう、なんて言いますが、私個人に当てはめれば、すでにデジタル機器は血肉と変わらない存在になってしまったようにも思います。

時計が確認できる・できないの話から随分と極端な展開ですが、しかし、私にとってはそれだけ、現在時刻を知るということが大切なことだったんだ、と。

早く充電が不要になるとさらに良いんですけれどね。それはまだまだ先の話でしょうか。

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