書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

電子書籍で買いたいけど、買いたいサービスで売っていない

もう本を持ち歩くのは嫌なので、買えるのであれば極力電子媒体で買っています。お寺で使う本は大半が電子書籍化されていないので泣く泣く紙で買っていますけれど。仕事で使うものだからこそ電子媒体で買ってスマホタブレットで持ち歩きたいのに。

肌身離さず持ち歩いて常に読んでいたいというのもあります。

電子書籍化には著者や出版社の意向だけでなく経営体力が大きく影響されるように思います。仏教書専門の出版社では対応が難しいのでは無いかなと勝手に納得しています。印刷所との関係とかもあるでしょうし。

もっと単純に、電子書籍が求められていないという判断がされているのかもしれませんね。確かに、私の周りのお寺さんで電子書籍を買っている人、聞いたことがありません。みんな本で買ってる。この業界にデジタルというものは存在しないのか。いや、曹洞宗以外の宗派にはデジタル化が進んでいる宗派もあるので、そちらのお寺さんではきっともっと積極的に。

ここまでは、そもそも電子書籍として売られていないというお話。今回は別のテーマです。

具体的にサービス名を上げて分かりやすく書くと、Kindleでは売ってるけどApple Booksでは売っていない、というお話。

今まで大半の電子書籍Kindleで購入してきました。Kindleの本棚は私の趣向を強く表すものとなっています。それ故に自分の好みの順に本棚が表示されるように手を入れさせてほしいぐらい。リアルな本棚だったら見せたい本を目立つ場所に持って来れますけど、Kindleではそういうことができません。

家族にKindleで買った本を共有しようとした場合、雑多な頭の中身をそのまま覗かれるような感じになります。そして家族の端末で読んでもらう場合は、Amazonアカウントの情報を家族の端末に入力することになります。購入もできちゃいます。

家族の端末がKindle端末(Fire含む)であれば、そのKindle端末で読める本を限定できるし、勝手に本を買われてしまうことも防ぐことが機能的に可能なのですが、そのためにKindle端末を用意するような富豪的な振る舞いはできません。残念ながら。

アメリカのAmazonだと家族向けにそうしたサービスをまともな形で数年前から提供してくれているのですが、何故か日本のAmazonでは待てど暮らせど非対応。

一方、Apple BooksはアプリやMusicと同じく、家族が自分の購入済みリストにアクセスした際に見られたく無いものを非表示にできます。一冊ずつ設定する必要がありますが、出来ると出来ないとでは違いが大きい。最近勉強が捗っていないから鬼滅の刃はしばらく非表示に、とかね。(すでにダウンロードしてしまったいるものにまで有効かはまだ試していないので分かりません)

Appleはもともと家族間でコンテンツを共有するためのファミリー共有という機能を全面に押し出していますので、一応こういうところまで考えられている、ということです。

家族に見られては本当に困るような本はそもそも買っていないのですが、漫画を全公開してしまうと子供たちの時間を無限に消費してしまいます。夏休みといえどもそれは危ない。

そうした時の対策が取りやすいということで、最近はApple Booksで買うことが増えてきているのですが、残念ながらApple Booksで取扱のない本というのも多数あるのです。時を置けば取扱が始まることもありますが、新刊を早く読みたいという時はKindleで買ってしまいがち。電子媒体でも出版するとなった際に、Kindleが選択肢から外れることは滅多にないですからね。(そのケースが無いわけではない)

これがなんとももどかしい。特に、いつか子供達にも読んでもらいたい本とかだったりすると、余計に。今読みたい本がまさにそういう本で、さてどうしたものかと悩んでいます。

我が家で一番の読書家である長女は紙の本という形も好きなので、電子媒体では一切読みません。彼女に興味を持たせるには紙媒体で買わなきゃしょうがないのですが、それはそれとして。

出版社の名前で調べてみたら、Apple Bookには数冊しかないんですよ。これは望み薄かなぁ。諦めてKindleで買おうか。

ちなみに、今読みたい本というのは「すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術」。早く読みたいのです。

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