書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お盆のおときは終了しました

ついに、最終日。お盆のお経回り(おとき・家施餓鬼)が全て終了しました。この時期はまだまだマスクをしたままの読経でもそんなに辛くはありません。5月の方が暑い日があったぐらいですね。

屋外でのマスクがほぼ不要ということがだいぶ周知されるようになってきて、感染症対策もこなれてきた感がありますが、とはいえ屋内での読経となるとマスクを外すわけにもいきません。飛沫飛びまくりですから、少しでもマスクでカバーしないと。

新型コロナの感染経路の推定も紆余曲折して、エアロゾルで感染するのではないかという説が有力となりました。つまりはマスクをすり抜ける程度の小さな粒子でも感染源となるというわけです。

でも、ウィルス一つに触れたら感染するわけではなく、どの程度のウィルスに接したら感染するかは、その人の体調とか、体力とか、そういうものにも左右されますが、少なければ少ないほど感染する確率が下がることは当然でしょう。

だから、マスクはまだ大事なのです。してもしてなくてもうつるんでしょ、ではなくて、している方がうつしにくい・うつりにくい。お互いにマスクをしていれば感染確率がグッと下がるのはそういうわけです。

マスクをすり抜けるウィルスはあるかもしれない。けど、マスクで防げるウィルスもあるかもしれない。目に見える大きさなら簡単なんですけれどね。

というわけで、まだまだマスクは手放せません。屋内でもマスク着用義務を無しにしたアメリカも、感染再拡大と共に再度のマスク着用を呼びかけているという話。アメリカは州によって様変わりするので捉え方が難しいですが、感染対策に気を使っている州の方が、感染者や死者が少ないというのは傾向として現れているのでは。

何より、義務でもないのに同調圧力によってガチガチの感染対策をしている日本の死者数は群を抜いて少ないわけで、その感染対策の肝になっているのがマスクとワクチンですから、まだ当分はマスクは意味ないなんて考えには至れません。せめてインフルエンザ程度の致死率にまで下がれば・・・(重症化率と感染率が共にもっと低くなったら致死率も下がるはず)

12月の暮れのおとき、そして来年のお盆。その時にはマスクは不要になっているでしょうか。コロナ禍前は、お盆のお経が終われば無邪気に解放感に浸っていられたのに、今は先々の不安が常について回ります。

不安があってもやるべきことをやるしかない。それは分かっていますし、体もそのように動きますし、実際に正太寺は平時とさほど変わらずに動き続けています。今の平和な時代に至るまでに、日本においても戦乱の世があり、飢饉があり、疫病が流行り。日々の生活を安穏と送ることができる時代というのは変のわずかしかなかったわけです。その最中にも、仏教は粛々と受け継がれてきました。いかに困難な時にも、仏教をひたすらに伝えてきてくださった祖師方の、強さ、偉大さをいま改めて感じます。

来年は大本山總持寺の御開山、瑩山禅師の700回大遠忌(お年忌)。今までに接した大遠忌とはまた違った心持ちで、偉大な禅師様の功績を思い返す機会となりそうです。

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