書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

本堂に置いてある書類にメモを書く、それが出来ない日

初どきのあとに護持会総会を開いています。総会ですけど、分散開催で、6日間、つまり6回開催しています。

その護持会総会の後の数分間、近況報告などをお話しする時間をもらっているのですが、中には大事な話があったりなかったり。大事な話についてはあらかじめiPhoneのメモアプリに書いてあるのですが、その場にはiPhoneを持っていかないんですよ。持って行っても良いんですけど、持っていかないんですよ。

私の分の総会資料は、本堂内の須弥壇脇にこっそり置いてありまして、当たり前ですけど毎日同じものを使っています。その資料に、話す内容をメモ書きしようと思い立ってはや数日。

本堂には頻繁に行っているのですが、ペンを持っていなかったり、そもそも書くこと自体を失念していたりで、いまだに書けていません。

昨日と一昨日はメモ無しでも大丈夫だったのですが、今日は話したいことの一つを思い出せず、結局最後まで思い出せず、お話しすることができませんでした。

モヤモヤしながらiPhoneを手にしてメモアプリを確認してみると、話したいこと、漏らさずちゃんと話してました。「これ以外にも何か話さなきゃいけないことがあったはず」と思いつつ、「これ以外」は存在していなかったのです。

なんということでしょう。

自分を慰めるとすれば、思い出せないことをその場で引きずらず、さっさと終わりにすることができた、それを褒めるぐらいでしょうか。iPhoneを確認しに行かなくてよかった。諦めが肝心。そしてちゃんと必要なことを話せていた自分に乾杯。

さて、いつになったらメモを書き込めるのでしょうか。そうやっているこの瞬間にも書きにいけば良いのですが、そういうとこですね、原因もはっきりしているのに、動かない。そこですよ。

何かのついでに書き込める時が来ることを信じて、もうしばらく放置です。

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