書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

置いて行かれている気がして仕方がない

自分の歩みが全然前へ進んでいないようで、何かに置いて行かれているような気がして仕方がないのです。

周りを見れていないということなのか。

それとも、周りを見すぎているのか。

原因の一つはTwitter。どうしても趣味に寄せてフォローをしていくので、カメラをレビューしたり、おしゃれな空間を作っていたり、いつの間にか机をプロデュースしていたり。

つい、界隈で最先端と思われる人をフォローし、よく見てしまうので、そうした方々はどんどん進んでいるんですよ。立ち止まらない。私が何も成長できていないなと感じているこの瞬間にも、どんどん、次へ次へと、変化を続けています。

続けているように見えます。

ご本人にとっては日常が連続しているだけなのかもしれませんが。

うまくいっている人は、やはりその人の周りで経済が動いています。何かを買う。そこから何かが始まる。単なる買い物でも何かが違うんです。

何が違うんだろう。どうしたらいいんだろう。

僧侶だから物欲とか稼ぎとかとは距離を置かなきゃというのもありますが、その一方でお寺はお金が無いと回っていかないので稼がなきゃならんのです。

墓じまいしたい人が増えている(というニュースがある)からそれに乗っかって永代供養をどんどん受ければいいのかもしれないけれど、それが行き過ぎれば「骨捨て場」と化す可能性も濃厚で、それが仏教かと言われたらそんなことは絶対にないわけです。

大体、墓じまいしたい人というのも、当人の代で家が絶える何ともかく、子どもに迷惑をかけたくないとかいう話が多いんですょ。誰ですか、親の墓参りを迷惑だなんて言い出したのは。世間でそういう話を聞くから、その子供たちも、なんとなくお墓参りって面倒なものなんでしょ?とかなっていそう。

みんな耳を塞げ!

余分な話を聞くな!

とにかく自分の心と向き合え!

「あなたは親のお墓参りをしたいか?」大事なのはそこだけです。

それでもお墓参りをしたくないと言われるんだったら・・・一体彼らの人生に何があったのでしょうか。そうなる前に出会いたかった。

「一人娘を嫁に出して、もうこの家には誰も残らないから永代供養にする。」

そういうケースも多いでしょう。その一人娘は、自分のルーツであるご先祖さまに、どこに行ったら会えるのでしょうか。永代供養墓で本当に納得できるのでしょうか。正太寺にも永代供養墓があるから、あんまりなことは言えませんけれど。

人の数だけ人生があり、人生の数だけ永代供養にする理由があります。結果的に永代供養を選ぶことになるにせよ、何度も立ち止まって、他により良い選択はないのか、繰り返し考えてほしいのです。お寺に相談してほしいのです。

永代供養にしなくてはならないケースは、実はさほど多くないと、私は考えています。

・・・なんの話でしたっけ?

日記に書いて、10数年分の記録の中に埋もれさせるような話ではないですね。

そして、こんなだから正太寺は収入が増えないんですね・・・真面目にやってるお寺は、収入が少ないと思ってください。大体間違い無いです。真面目にやっていないお寺が収入が多いというわけではありませんのでご注意を。不真面目にするだけで収入が増えるなら、私の一代、正太寺を維持するために、どんな不真面目にもなって見せますよ。

とりとめがないので今日はここまで。最近、お金に悩まされることが多いので、ついこんな日記を書いてしまいました・・・

——————————

基本的に毎日書いてます。 何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。
noteも結構書いてます
Bloggerにブログも書いてます。こちらは数日置き更新。「もばいる坊主