書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

観音懺法の準備を始める

今日から秋のお彼岸週間です。彼岸の入り、ですね。23日にはお中日です。

そのお中日には、正太寺を会場に「観音懺法」という法要がお勤めされます。懺法講を組織する近隣の6ヶ寺が順番に会場を回しています。

会場が回ってくると、前回会場になった時以降に亡くなられ、仏様となった方々を掛軸と帳面に書き入れます。法要の最後に掛軸と帳面に書かれているお戒名を読み上げて、観音懺法の功徳を回向します。法要を勤めることによって現れた功徳を、6ヶ寺のお檀家さんで過去に亡くなられて仏様になった方々に振り向けるのです。

懺法講による観音懺法が続く限りご供養は続くので、半永久の供養、つまりは半永代供養ですね。事実上の永代供養と言って差し支えないと思います。

世間では墓じまいをして永代供養にしなきゃ、という話をたくさん報道してます。それに煽られる形でお檀家さんからも永代供養の相談を受けることがありますが、正太寺のお檀家さんはこういう形でいつまでもご供養が続きます。永代供養を頼まなくても永代供養になっているんです。

また、あまり大きな声では宣伝していませんが、もし自分が末代となるのであれば、葬儀費用とお墓の撤去費さえ準備しておいてくれれば、お骨は最終的には永代供養墓に移しますし、こういう形で永代に渡って供養が続きますから、なんの心配もいらないのです。そうでなくても朝のお勤めでは檀信徒各家のご先祖様をご供養するためにお経を読んでいます。絶家となってしまっても、一度でもお檀家さんになったおうちは、ずっとお檀家さんです。

心配ご無用。

でもこれをお檀家皆さんにお知らせしようと思うと、長ったらしい文章になってしまいます。ですので相談を受けた時だけお話しするにとどめています。皆さんにお知らせできれば、なんとなく心配事として抱えている悩みを一つ減らすことができるかもしれないのですが。

お経に伺った時になど、折に触れて、世間話に混ぜ込んでお話ししていこうと思っています。

さて、それはそれは大事な観音懺法。日が迫ってきましたので、本堂の準備を始めました。まずはお掃除。それから先ほどの掛軸を飾ります。すぐ手前にはきれいな綺麗な幕で覆った机を並べ、お供物などを置く台とします。

本尊様のいらっしゃる須弥壇の周りも以前は綺麗な幕をつけて飾り立てていたのですが、前回の観音懺法からはそれをやめました。正太寺の柱などは、朱塗りがされています。それ自体が飾られたものと言っても良いのです。須弥壇は質素なものですが、その手前にある前机と呼ぶ蝋燭立てや線香立てを置く机は、彫り物がしてあります。これも幕をつけてしまったら見えなくなります。

幕をつけるときんきらきんになって綺麗なのですが、私のイメージする曹洞宗のお寺は、きんきらきんよりも、素材そのものが綺麗なイメージなのです。須弥壇も前机もいずれも古いもので彫り物も豪華ではありませんが、特に前机は江戸時代から正太寺の本堂で活躍してきたものです。その素の表情を隠すのは勿体無い。そう思えて仕方ないのです。

今の所、お正月とお盆には従前通りに幕を使って飾り付けをしていますが、観音懺法ではやめにしてみました。普段の正太寺の姿そのままで法要をお勤めします。朱塗りの柱、綺麗ですよ。

普通のお寺は、普段も幕がつけてあって、特別な法要の時には特別な幕に付け替えるものなのですよ。そういう意味では、正太寺は何かにつけて特殊なのです。誰の趣味なんだろうな。

明日は本堂内に法要に必要な道具を並べてしまおうかと思っています。お参りに来た方が、いつもと違う雰囲気を楽しんでもらえるように。お天気が雨模様なので、誰も来ないかもしれないんですけれどね。

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