書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お墓の場所が分からない

深刻な問題です。住職でありながら、檀家さんのお墓の場所がよく分かりません。直近で納骨された方の場所は分かるのですが、次第に記憶が薄れていきます。

師匠は8割方覚えている感じです。それでも完璧ではありません。同じ名字も多く、判断基準は建立者の名前と、側面に彫られた戒名。ただその戒名も、お寺で強くお勧めをしたりはしないため、最近は彫らないことも多いです。

お戒名というのは部落差別問題に絡む根深い問題をはらんでいて、差別戒名であるかどうかを調査するということが未だにあるようなのです。そもそも差別戒名をつけるという行いをした、ある時期の住職たちにも大きな問題があるのですが、それが未だに善良な人間の人生に悪影響を与えているという事実がまた恐ろしい。

差別戒名であるかどうかは割と簡単に判別できます。差別戒名であればそれがそのまま差別事件につながります。現代ではほとんど残されていないはずですが・・・

差別戒名でない場合では、差別事件につながります。「調査の結果、(彼・彼女)は被差別部落出身ではありませんでした」という報告が為される時、そこには「被差別部落出身者」を差別する意識がはっきりと存在しています。依頼者にも、報告者にも。

そういうことがあるものですから、「○○家のお墓はどこですか?」と訪ねてこられても、簡単には案内しません。そこのお宅に案内しても良いか直接確認をするのが一番確実な方法となります。それぐらい、繊細な問題なのです。同じ理由で、過去帳も住職や副住職しか見ないようにと、曹洞宗では曹洞宗全寺院に通達をしています。同居の奥さんとか子どもでもNG。奥さんが法事の予約を受けるときに、何回忌に当たるかの確認をしたい時もあるはずですが、それでもNGとしています。

準教師という資格を取った場合は、ある程度の人権学習も受けているのでOKかなとも思いますが、毎年欠かさずの人権学習受講をほぼ義務付けられていると言っていいレベルで学習をしている僧侶と比べると、やはり理解に差はあるでしょうか。

そんなわけで、お墓の場所というのは住職であってもはっきり分からない方がかえって良い場合もあるのですが(知らなければうっかり教えようがない)、そうは言っても把握しておく必要性もあるので、重い腰を上げてリスト作成に取り掛かりました。

お墓へ行って、写真を撮り、写真に直接檀家さんの名前を書き込みます。スマホに入れた過去帳を片手に調べまくって特定するんです。手軽に強固なセキュリティを与えてくれるスマホに万歳。

午前中の3時間ほどで、大体半分ぐらい特定出来たでしょうか。暑い。しんどい。日差しはそんなに強くないのに、タオルで守っていたはずの首の後ろが痛い。

午後からは無理だと判断して、残りは明日へ。でもこのペースなら、明日中には全てのお墓を調べ終われそうです。問題は、すでに分からないお墓がいくつかあること。放置気味のお墓もありますし、絶家となったのにちゃんと掃除されているお墓もあります。ドラマが見え隠れします。

住職として、檀家さんのお墓を把握すると、なんだか檀家さんのことがより理解できてくるような気もしています。不思議な感覚です。

師匠は、過去帳をデジタルなデータベースへ移行する際に、紙に書かれた戒名をパソコンに入力する過程で分からない漢字がたくさんあったが、それを逐一調べていくことで、大変な勉強になったと言っていました。私は今日のことで、規模はとても及びませんが、似たような感覚を得ているのもかもしれません。

全て調べ終わったら、すぐに参照できるように、墓地区画にコードを振り、リストにまとめる必要があります。まだちょっと時間がかかりそうですが、一番大変なところにうまく取りかかれたので、きっとそのうちに終わるでしょう。私の次の住職には、多少の楽をさせてあげられそうです。

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