書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

教区人権学習会

年に一度、教区長さんの招集で、人権学習会を開いています。宗務所からも人権主事さんがアドバイザーとして参加してくださいます。ご苦労様です。

今回は過去帳に関しての学習会。過去、差別戒名が大きな問題となりました。被差別部落の方々が亡くなると、それとわかるような戒名をつけるんです。今の感覚で思えば絶対にありえない事なのですが、それつまり、当時はそれが当たり前というぐらい差別意識が染み込んでいたことの証です。

自分がその当時にその立場にいたとして、疑問も抱かずに差別戒名をつけるような和尚であったかどうか、考え出すと不安な気持ちにもなりますが、曹洞宗の教えはその頃も今も、もちろんそれ以前からも、基本となるところは何も変わっていないのですから、真面目に修行に取り組んでいれば、必ずそこに疑問を抱いたはずだと信じています。

そうした過去があるため、過去帳というのは、見る人が見れば、余分な情報を提供してしまいます。正太寺の過去帳には差別戒名が登場するかしないか、たったこれだけの全体像の情報ですら、人によっては有用なのです。

未だに被差別部落出身者への差別が根強く残っている地域があります。未だに、です。結婚の時には相手方の身元調査は当たり前。それを請け負った業者からすれば、あそこのお寺の檀家には差別戒名がない、という事実だけでも、調査対象が被差別部落出身者ではないという証明になります。

その証明で持って安心して縁談を進めるということは、その時点ではっきりと被差別部落民を自分たちとは違い人間だと、差別しているんです。

お寺がその差別に加担するわけにはいきませんから、過去帳は原則住職以外閲覧禁止。住職の妻であっても、住職同様に人権学習を重ねていなければ閲覧禁止です。

というわけで、たとえお檀家さんが自分の家の家系図を作りたいと考えても、基本的にはお寺の過去帳を見せることは出来ません。戒名の部分を除いて、代々の俗名と続柄を口頭で伝えることはできるかもしれません。

でも正直、そこのところの判断は難しいです。自分の家の家系図を作りたいと思って、最も記録が残っていると思われるのはお寺の過去帳というのは、確かなことかもしれません。戒名だって、本来であれば当然、その家の者であれば知っているはずの情報です。お寺から提供するのになんら憚るところはないはずなのですが。

わざわざ調べ上げたものを、話の通りに家系図として使うのならいいのですが、しかしそれがそのまま、自身や家族の身元証明として使われてしまったら、お寺が差別に加担したことになってしまいます。

ケースバイケースでよく話し合って答えを出すしかありませんし、もしお檀家さんとの間でも、こうした人権問題の存在について、常日頃から様々に話をしていれば、身元証明のために家系図を作ろうという発想には至らないはず。やはり、普段からの取り組みが大切ということになります。

なかなか根が深い人権問題です。心の弱いところを突かれないように、お檀家さんと一緒に、常々心がけをしていかなくてはなりませんね。