書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

地味な戦いが始まりました

6月1日。お盆の始まり。今年のお盆はちょっと違う。お檀家さんのお宅を回らず、お寺でひたすらお経を読みます。

大好きな、おしゃべりタイムのないお盆。なんと辛いことか。私は椅子を使っているので足の痛みとは無縁で済みそうですが、喉はどうしようもありません。

腹から声出せとか、呼吸は腹式だとか、喉を痛めない発声法が色々存在していますが、詰まるところ個人差ですよあんなの。中学の時は吹奏楽部でしたから、常日頃の呼吸からし腹式呼吸。腹から声出したって声帯は使うわけで、声帯の使用を抑えると発音が不明瞭になります。

本当に極めたかったら、ちゃんとボイストレーニングに通うしかない。それでも適応できるかどうかは個人差があるでしょう。誰でもできたら、みんな歌手みたいなことになってしまう。売れる歌手になるには声質とかタイミングとかもあるので、誰でもメジャーになれるわけじゃないですけど。

お坊さんでも、声は良いのに滑舌が悪いとか、色々です。総じて良い声率が高いのは、やはり日頃の積み重ねでしょうか。人前で声を出すという経験が、何よりの味付けとなっているように思います。

師匠の父は、晩年、声が細くなってしまったそうです。入出で寿司食堂をやってましたから、それを知る人も多い。師匠もまた、年々声が細くなっているのを気にしています。ポリープができたり、それを取ったり、そうした経緯も影響しているとは思いますが。一日に二件法事をするのは、もう無理かなと感じているようです。私でも喉が辛いし。

骨格とか、声帯の形とか、トレーニングとか、いろんなものが合わさって、いくら声を出しても平気な人というのが誕生するのだと思います。つまりは生まれつきの部分も大きな要素なわけです。

だから喉が痛くなるのが早い私は、もう仕方とないことだ。うむ。

というわけで、休憩を入れながらお経を読んでいましたが、もう少し休みたいというタイミングで檀家さんがお参りに来たりすると、なんとなくお経を読んでいなきゃいけない気がして、焦って読み始めたりして。この感情に何か名前をつけたい。強迫観念とはちょっと違う、と思うけれど。

こんな調子で地味な日々が続きますが、一軒ずつお経を読みながら、新しい仏様の場合は最近の記憶を思い出したりして、そうした触れ合いはしています。今日一日で見つけた楽しみは、それぐらいかなぁ。お経を読むのは修行なので、楽しいも楽しくないもないんですけれどね、本当はね。

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