書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

時々確認しながら進む

夕方になって思ったのです。

今日は何をして過ごしたのだろうか、と。

その瞬間まで1日頑張って過ごしてきたはずなのに、何をしていたのかすぐに思い出せなかったんですよ。

落ち着いて振り返ると、ようやく思い出す事ができました。わすれたわけじゃない。すぐに思い出せなかっただけ。

でもちょっと心配になります。仕事がいくつも重なったことで、自分が今何をしているのかという部分にいまいち現実味がないというか。

集中してやっているはずなのに、直後に振り返るとなんとなく、ぼおっとしていたような気さえしてきて。なんの取り柄もない私だから、せめて真剣に取り組もうと、そこにはいつも力を入れているのに、記憶の中の自分の姿はいつもぼおっとしていて。

瞬間瞬間では集中している実感があるのに、その瞬間が過去になると同時に、その実感に自信が持てなくなるのです。

こんな感覚は初めてで、戸惑っています。

小学校の登校の時に、気がついたら学校に着いていたとか、お経を読んでいたはずなのに気がついたら終わっていた、とか。似たような経験はいくつもあるのですが、それとは微妙に違うんですよ。それらはその瞬間だけの現象だったのですが、今は、それが、ずっと続いているような感じです。

仕方ない。足元を見定める頻度を増やすしかありません。しっかりと立っているか。しっかりと前を向いているか。今すべきことは何か。それらをちゃんとやっていれば、後から思い出した記憶が不安定なものであっても、やるべきことはしっかりやれています。大丈夫。心配ない。

明日も一歩一歩、がんばります。

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