書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

母が亡くなりまして

Untitled

長くパーキンソン病を患っていた母が、とうとう亡くなってしまいました。今月に入った頃からそろそろかもという状況が揃ってきてしまって、覚悟はしていたものの。

実際に亡くなった直後はあまり実感はなくて、その後も葬儀の準備に追われ、さほどの実感はなかったのです。時折急に悲しみに襲われることはありましたが、少しすれば落ち着けるぐらいでした。

父である師匠が喪主を務めると思っていたら、私が務めることになり、ありとあらゆる事象に振り回される数日間。そんな中で最も母の死を実感したのは、火葬場で棺の窓を閉じる時でした。

棺に線香を乗せながら、母の顔をしっかり見たつもりだったのに、直後にはその時の顔が思い出せなくなって、すぐに遺影の写真の母の顔にすり替わってしまいました。もう一度、今の母の顔を見たい。そう思ったその瞬間が、とても辛く悲しい時でした。

全員のお別れが終わって、火葬場の職員さんが棺の窓を閉めるその前に、もう一度顔を見に行きたかったけれど、私が見に行ったら何人も後に続くのは分かりきっていたこと。入出の火葬場はありがたいことにゆっくりとお別れをさせてくれる場所ですが、それでも様々が気になって、一歩が踏み出せませんでした。

父はどうだったのかな。もう一度見たいと思っていたかな。思っていて当然だよな。

そう思っても、母の入った棺は炉の中にどんどん入っていってしまいます。何度も何度も、檀家さんを同じようにして見送りましたが、炉に入りかけたところでストップをかけた人はいませんでした。若い息子さんを送った方も、幼い子供を送った方も、泣き崩れていても、炉に入るのを止めることはありませんでした。

私も同じように、ただ、手を合わせて見送るしかありません。

今まで同じ場所、同じ時間を共有してきたお檀家さんたちの、その瞬間の気持ちを、ようやく知ったのだと思いました。

どんなに想像をし、心を寄せたつもりでいても、実体験にはかなわないものです。

明日以降は年越し準備をしながら、葬儀の後片付けが続きます。体調崩して逃げ出したい気持ちがちょっと湧いてきました。

——————————

基本的に毎日書いてます。 何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。

noteも結構書いてます

Bloggerにブログも書いてます。こちらは数日置き更新。「もばいる坊主