同級生の親父さんの葬儀でした。私にとってはお世話人さんとしての記憶の方が濃く、色々とお世話になったことを思い出します。お盆や暮れのおときの際にも、特にここ10年ぐらいは、奥さんの代わりに待ち構えてくれることもよくあって、色々お話しもさせてもらいました。
師匠よりも若いのに。まだまだやりたい仕事もあっただろうに。いつも働いているイメージでしたから、動けなくなった自分の体を、どんな風に思っていたのかと想像すると、胸が締め付けられます。
今までは、葬儀の最中に涙ぐむことがあったり、火葬場での読経で声が震えてしまったり、なかなか感情コントロールができないでいました。自分の立場は、儀式の執行者として、ある側面では淡々と進めていく必要があると認識していますから、それがうまくできないことにもどかしさも感じていました。
それがようやく、できるようになってきたかなと、それが今日1日を終えての実感です。
ただ、その一方で、お檀家さんの葬儀で泣くぐらい、してもいいじゃないかという思いもあるんです。みんなが堪えている中で、和尚が一人泣いてしまうのはずるいかもしれませんが、故人との関係性を一瞬で理解してもらえるのは悪いことではありません。
でも、やっぱり、出来れば、泣きたくはないなぁ。
願わくば、泣いてしまうようなお葬式が、なるべくありませんように…
写真は、外灯に寄ってくる虫を狙っていると思われるヤモリ。影になったところにも一匹いるので、目視できた範囲で三匹もいました。ヤモリ賢い。