浜松のお師匠さんのお寺で山門施餓鬼会が厳修されました。コロナ禍対応のため、初盆のお宅だけの参列に絞っての法要となりました。
例年は大勢の随喜のお寺さんとともにお勤めするのですが、今年はそれも無し。唯一、私だけが随喜することになりました。
隠居されたお師匠さんが鳴らし物担当、私が侍者。お施餓鬼法要というのはどこのお寺でも古くから行っている法要であるため、長い年月の中で組み上げられた独特のやり方があります。
ベースは同じであるものの、近隣寺院とのスケジュールの都合にあわせて少し省略してみたり、同時にいくつかの法要を併修したりと、千差万別。
正直、浜松地域のやり方には精通しておらず、初参加となった昨年は非常に戸惑いました。
今年はその経験を活かして無難に終えられるはずだったのに、ウィルスのせいでイレギュラーな形の法要となって、昨日からもう緊張MAX。体調が変だったのは、それもあったのかも。ちなみに今日も1日通して心拍数多め。
ただ、イレギュラーな法要は正解もまた不存在。一つ一つの動きがセオリーから外れていなければ、臨機応変に対処していけば良いので、「間違えた」という感覚とは無縁です。ただ、もっとうまくやれたんじゃないかという心境にはなるかもしれません。
今日のところは、まずまずうまいこと出来たのではないかと思います。
それにしても。本山を下りてもうすぐ22年。僧侶は本山を下りた後は、現場での研修が永遠に続くと思ってください。そして、22年間も研修を続けてきても、法要が少しイレギュラーになっただけでこれだけの緊張感を抱えながら、必死の思いで取り組まなければならないとは。研修の幅が足りていませんね。今日を乗り越えられたことに安堵せず、これからも日々精進です。
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