書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

ニュアンスが違うと、捉えています

大衆一如。それはすばらしい思想です。修行僧全員がひとつになって、修行に邁進していくのです。自分は他人のことを思い、それがまわりまわって自分もまた支えてもらえる。そうして厳しい修行を一体となって続けていくのです。


連帯責任。あまり好きな言葉ではありません。一人の責任を、全体で負うのです。誰かが失敗すれば、それは全員の責任となる。学校なんかではよく使われますね。もちろん、修行中にも。


大衆一如は、連帯責任の強制ではないはずです。結果としてそのような姿になるものです。誰かが失敗したらそれを自分の失敗と思い、庇い、励まし、支え合う。
自分が失敗したら連帯責任でみんなに迷惑を掛けるから、そうならないように気をつけよう、という発想とは真逆です。それは後ろ向きのエネルギー。大衆一如は、ずっと前向きです。


指導力や影響力を効果的に発揮するには、連帯責任というものはとてもよい道具です。
でもそれは、支え合いの心を育てることにはつながりません。むしろ逆効果。
一人一人が周りの人のことを真剣に思う心こそが、大切なのです。連帯責任という考えではそれは育たないと、信じています。