書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

思い切って休んだ

午後からは法事もなく、他の予定も入れてなかったので、思い切って休むことにしました。休むと言ってもなかなか難しいもので、ちょっと何かあればすぐにインターセプトされてしまうものなので、本当は外出してしまうのが一番。

とはいえ急なことですし、一人でぶらりとできる趣味もなく、Amazonのプライムビデオで何か見ることに。いくつか見たいものが溜まっていたので、今日はその中から一つ、「ルパン三世VSキャッツ・アイ」を。

途中、お腹が痛くなったり、従姉妹がお墓参りに来てくれたり、そんなこんなで細切れではありましたが、お風呂に入る時間までには見終わることができました。1時間32分の映画なのに、6時間ぐらいかけて見たことになります。おかげで1日かけて楽しめました。

やらなきゃいけない仕事、なかなか取りかかれない仕事、いっぱいあるのでなかなかこういう時間を持つことができずにいますが、何もかも放り出して息抜きの時間を取るのは大事だなぁと感じますね。

ずっと以前からの課題でもありますが、職場が住居とくっついていると、常に仕事をしてしまえるんです。キリがない。終わらないなら終わらないで次の日に回して、それで問題が発生するならスケジュールの立て方が悪いので改善して、ちゃんと仕事が回るようにする。そういう真っ当な取り組みをするべきなのに、片づいちゃわないと落ち着かないから夜になっても寺務所に居続けることになってしまいます。そしてそれがいつの間にか当たり前になって、せっかく通勤時間ゼロなのに家族団欒の時間は食事の時ぐらいになってしまい。

よくないですね。自分で自分の生活を締め付けています。住職の持つ二つの顔のうち、僧侶としての顔は、そこまで生活を締め付けません。むしろ修行生活は規則正しい生活を後押しします。地方の寺院では本山での修行の全部を行えませんから、お寺に合わせての修行になります。

もう一つの顔、お寺の経営・運営者としての顔が、生活を圧迫するのです。筒がなく運営していかなくてはならない。その当然と思える義務感が、圧迫するんです。お寺を経営していくための事務的素質は、僧侶の素質資質とは比例しませんから、うまくいかないことも多々あります。

僧侶として優れていても、住職としてお檀家さんとコミュニケーションを取るのは壊滅的に向いていないという人もいそうですし。

私の思い描く理想の僧侶像というのは、何か事務をしているときに、外で鳥が鳴いているのに気づいたら、鳥の声を聞きながら坐禅をしよう!と仕事を放り出して坐禅してしまうような僧侶です。でもこの僧侶、絶対お寺の事務、ちゃんとやらないですよ。

理想通りに生きるために、今とても近い立場にいるのに、その通りに生きられないというのはなかなかもどかしいですが、しかし、お寺があり、お檀家さんが支えてくださるからこそ、僧侶は修行をすることができます。

ブラック企業になりすぎないように、もうちょっとうまいバランスを見つけたいものです。

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