書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

筋肉が酸素を要求するとき

夕方、自転車トレーニングへ出発しました。


今日もあの坂を、登り切るんだ。


強い決意を胸に、まずはいつものルートを走ります。10分ほどで、「あの坂」に到着。いつも車で走っている坂。車ならば30秒もかからない坂。けれど自転車では、その角度と距離がなかなか手強い坂である。


坂のすぐ手前は交差点。小さな交差点だが、左右確認無しで突っ切るわけにもいかない。結果、ほとんど助走なしで坂に挑むことになる。


交差点を渡り、いよいよ坂だ。ここまでは平坦な道のりであり、風もなかったので体力の消耗はほとんどない。体調は万全。今日こそ、最後まで立ちこぎで登り切る!


先日上ったときは、頂上手前で、足が耐えきれずにサドルに腰掛けてしまったのだ。それはかっこわるい。今日は出だし順調だ。
いや、前回も出だしは順調だった。油断は出来ない。


マラソンのように呼吸を一定のリズムにしてペダルをこぐ。息が上がってきても、そのリズムは崩さない。崩したら、もう立て直せない。呼吸のリズムさえ保てられれば、きっと最後まで立ちこぎでいける。


それは、急な上り坂を走って登り切るのと同じ作業だった。
久しぶりの感覚。高校の体育大会で走ったとき以来だろうか。


残り3分の1ぐらいだろうか。足がぱんぱんに張ってきた。いくら呼吸をしても足の筋肉まで酸素が運ばれていないような気がする。座りたい。座ってしまいたい。そんな気持ちを必死にかき消しながら、ペダルをこいでいく。
酸素が足りない。
よくは分からないが、なぜかそんな気がした。


いよいよ頂上まであと数メートルのところまできた。足の筋肉ががちがち固まっているように感じる。呼吸を乱さないようにするのが必死だ。頭は休みたい気持ちが大勢を占め、唯一負けずぎらい根性だけがそれに逆らっている。
ペダルのひとこぎひとこぎが、途方もなく大変な作業に思える。自転車がいつまでも前に進んでいかない気がする。それでも、自分に負けるのが悔しくて。


ついに、目指す頂上にたどり着いた。どたんとサドルにお尻をつける。呼吸が一気に激しくなる。必死に酸素を吸い込んでいる。こんなのが続いたら、過呼吸になるんでじゃないか。そう思うほどに息を吸った。
坂の手前では元気だった足が、今では重く固くなっている。ここからは下りだが、それでもペダルをこぐのがつらい。


けれど。
今日はついに登り切った。立ちこぎで登り切った。前回のような悔しさはない。
晴れ晴れとした気持ちで、残りのルートを走る。


家に帰り着くまで、時間にすれば30分もない身近な運動。けれど今日は、今までにない充実感が得られた。
でも、これで満足はしない。高校生の頃ならば、こんなに体をへばらせなくとも、もっと軽々と登っていたのだ。あのときの体力を取り戻すんだ。次の目標は、登り切っても息を乱さないこと。リズムを保つこと。


基礎体力が足りてないんだ。がんばれわたし。がんばれ私の体。