書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

用事のはしご(間に合ったのは最初の予定のみ)

朝から法事→子供の体育大会→晋山結制の習儀とハシゴをしました。法事は車で40分ほどの移動を伴いますが、ちゃんと時間に間に合いましたよ。通勤時間帯だったので心配でしたが、問題はありませんでした。今後のためにここに書き残しておきます。

開式と同時刻に、体育大会が開会。昔は保護者が誰も見にこなかった中学校の体育大会です。今は広く見える運動場も、千人近い生徒のいた私の在校時は手狭でした。トラックをぐるっと一周囲むように各クラスが陣取ってもまだ足りないぐらいなので、保護者が観覧するスペースは皆無だったのです。

あの時代にも、観覧スペースを設けられた中学校では、保護者の参観が行われていたのでしょうか。当時の我々には、外部の様子を知る術はありませんでしたから、何も知らないままです。

時は流れ、今では全校生徒数が200人に満たない小規模校となっていて、保護者の観覧スペースが余裕で設けられます。それに伴い、年々参観者数が増えているような気もします。上の娘が中学にあがったばかりは、そんなに保護者がいなかったような記憶が。

保護者の参観が増えたのは、やはり時代の流れの影響のほうが大きいのかもしれません。

プログラム後半はだいたい見ることができて、満足です。開会式はご無礼して、晋山結制の習儀に参加するため、車を走らせ1時間。今日は車移動が多いです。

習儀開始から1時間経っての到着でしたが、そもそもが習儀にあまり関係のない役所での随喜です。同じ担当の方と一緒に打ち合わせをしました。

最近感じるのですが、自分の頭に浮かんだことを言葉にするのが、少し遅くなっているように思います。なんだろう。自由に喋れない。檀家さんと話している時にはあまり感じないのですが、こうして同じ立場のお坊さんと話しているときに、頭で行われている思考と、それを声に出す部分が、全然噛み合っていないんです。

これも老化現象でしょうか。あと2年で50歳ですから、衰えがあってもおかしくはないのですが。でも、まだまだここから一旗挙げられるぐらいの年齢でもあります。衰えを感じている場合ではないのだ。でも昨日の研修でも、自分の話し方が物足りなかったんですよね。

今日のような会話をもっと増やせば、回復訓練に繋がります。お坊さんと話す機会が少なすぎたのでしょうか。言葉の反射神経のようなものが弱っているという感じなのかな。人と会うのはあまり得意ではないのですが、この先、お寺以外のいろんな会合に参加する予定が増えてきているので、なんとかもう少し、キビキビ話せる状態に戻したいと思っています。

誰か助けて。

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